聖書による評価に殺されない方法を考える

聖書による評価に殺されない方法を考える

覇権国家の推移とキリストの歩みと私の歩み

主イエスと同じ艱難試練に遭うとき戸惑いながらも心落ち着けば嬉しくなります。といいますのも善行、期待、歓迎を得つつエルサレム入場の主の姿も真実ですし、唾・石声・無知投ぜられ十字架まで歩まれたのも主の姿であったからです。主は奇跡を用いてでも人に仕えられましたが人はその自己中心性の罪故に唾・石声・無知を投げつけます、自分自身を顧みましても人様の言動を顧みましても。絶えず今の世はそれが全うされています。

ですので主にある私の生業は主が歩まれた道を追うものでありますから、因果応報の枠に収まることは絶対にありませんので聖霊の働きにより苦しくも嬉しく在らしてくださいます。

堺市にある紀伊国屋書店さんで購入できました♪

驚くべきことに『世界は聖書で出来ている 高原さん著』に御座います通り、覇権国家の変遷に比例してユダヤの人々が歓迎され、その後迫害され、また歓迎され、また迫害されていく歴史事実がイエスキリストの誕生~エルサレム入場および十字架まで歩まれた道と完全に一致しておりまして、この事実と私個人の生業を重ね合わせていきますと世に在っての冷遇はむしろイエスキリストやユダヤの人々の移動(神の御業)の追い体験をさせて頂いているようなものですから冷遇だけが私の霊を縛る事はないのでございます。

聖書箇所

これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」(ヨハネの福音書 16:33 SKY2017)

聖書箇所

こう書かれています。「あなたのために、私たちは休みなく殺され、屠られる羊と見なされています。」しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。
(ローマ人への手紙 8:36-37 SKY2017)

聖書箇所

それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ人への手紙 5:3-5 SKY2017)

それではその先にあるキリスト者の希望とはなんなのでしょうか・・・!

キリストの歩み通りに歩み、主がくださる愛が罪に勝り罪を孕んだ自我が完全に十字架上で死ぬとき主と共に復活する霊の体験を今を生きる私達でも感じる事が出来る恵みの事でもございます。言い換えますと私が私を生きるよりイエスキリストが私を生きて下さる方が私の霊は喜んで魂が平安なのでございます。

日々これを繰り返しておりますので聖化による自由が広がりを見せてくださいます。いわば自分の価値感覚の枠の外側が私の魂のふるさとなのでございますが、逆には自分の古い価値感覚の方が手に取りやすい事実や引き戻そうとする働きや力が神と私との距離感を解らせてもくださっているのであります。

聖書箇所

私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。死んだ者は、罪から解放されているのです。
(ローマ人への手紙 6:6-7 SKY2017)

私は常に踏みつけられても、何をされたとしても(自責他責より)神との関係性が人間関係より勝っていたいのであります。すこしづつ すこしずつ 立った一歩でも神に近づき歩みます

聖書箇所

もし一人の違反により、一人によって死が支配するようになったのなら、なおさらのこと、恵みと義の賜物をあふれるばかり受けている人たちは、一人の人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するようになるのです。 (ローマ人への手紙 5:17 SKY2017)

聖書箇所

こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。 (ローマ人への手紙 5:1 SKY2017)

ありがとうございました。(^^♪

才能を自分のものとしない事

評価に殺されない方法を動画に致しました。家内と和歌山で同時に主に癒されました体験に基づく適用の内容となっております。

(使徒の働き 2:44-47 SKY2017)

信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。