俳短飛行会

福音と日と事CAFE

( ^^) _旦~~ 主を思い。。。頂きました言葉の数々を連ねてみては

海の言葉鞘 得物は魚  

只今屋根修理・雨漏り修理のカテゴリーにございます技術考察記事をリライトさせて頂いているのでありますが、私が40代に書きました記事郡の鞘の無さに。。。なんとも言えない冴えの無さ。。。を感じておりました。とは申しましても刀身の納め姿に心が動きませんでしたのでそれならいっそのこと海が鞘ならいいのにっ!(笑)とちょっとした平泳ぎがありましてはバタバタとリライトしております。いつもありがとうございます。

閉じないで 綴じる表紙の 厚み増す ザラザラ固くも サラサラかぐわし

プランより 先立つ数字 75

老若サンゴ♪

その張りで 語ってくださる若輩と 山谷節々身に纏い 語ってくださる老輩と 決して飲まれず 塩気保たる 兄弟姉妹と

愛しきみえかたのちがい ♪♪♪

昭和という時代は夢は皆みていたのですが実際に手にする事は稀でその分手垢がつかないので見続けれる透明度が残っていたわけですから現代の律法主義の方の言い分も理解できない訳ではありません。そこでトマスさんに倣いまして希望は手でも目でも触れれると御赦しいただけましたら

その様な訳で銅板の穴開きのメカニズムも摩耗と電蝕があると漸く解明出来たのですが(出来たつもりです(笑))特に谷ではなく晒し垂れ下の自然電蝕と熨斗瓦下にある銅線の自然電蝕が解明出来ずにいた中でおそらくそうではないか?とういう所に主にあって辿り着かせていただきました。そこのところを動画にさせていただこうと考えております。いつもありがとうございます。<(_ _)>

陰陽の 谷間に流る 雨土の 問いは受けたし 樋は吐きたし

相見積もりで勝った負けたはもうよろしい理由ですが主にあって譲ってくださったと気付かせてくださったからで、私も子育て介護等で大変な職人さんが全力で勝たれたら良いと思い馳せている今が希望の有り様は 苦難→忍耐→練られた品性→希望の御言葉が沁み込んで再び想いを色付けて浮かぶときの喜び様でしょうか。(ローマ人への手紙5:3~4)

( ^^) _旦~~浮きよろこび絵

( ^^) _旦~~降ろした重荷は売れるかもしれませんし売れないかもしれませんね。
(マタイの福音書11:28~30)

( ^^) _旦~~湧き出る泉が人の傷をより深くに隠し十分に平安な水面の後、足漕ぎボートがやって来る様な美歌に感じます。

( ^^) _旦~~ボートに乗っていますとたとえ足漕ぎを止めたとしましても川の流れに乗っていけるような讃美に感じます。


一日は そんなに高く ないけれど イワシの照りは 記憶の輝りへと

異邦人が継ぎ木される為開いた幹の穴の大きさは継ぎ木の方から測れるものでないときに継ぎ木が継ぎ木を測らなくてよくなるのではないかと考えさせて頂いておりました。敬虔→兄弟愛へとすすむとき。『ペテロⅡ1:7』 

アガぺーの愛は測れない愛ですので測れる愛からでは測れない愛を測れないのですから測れる愛は自由に開放されます。ですのでこちらが無償の愛と位置づけするとそれは測れる愛ということになり計量器が生まれますのでアガぺーの愛は測らないで信じる(受け入れる)だけとなります。被造物の僕には無理でも創造者の神様ならできるかもしれないと歩み寄ったことが最初の一歩目でありました。(未だ一歩目かもしれませんしずっと一歩目が僕には大切です)αでありΩである神様

洗脳と盲信は対象への恐怖や畏敬を用いた自己中心ですから変わります。信仰は神中心で神の内在なくして神中心には成り得ませんし神はこちらからは変えれません。神中心と自己中心のどちらが尊いのではなく神様は全部尊いので人類の救済計画は進んでおります。『イザヤ43:4』

砂に落とす墨汁のように人が少なくなりますと滲み難く原液を浴びた時弱まりますので願わくば全年齢感覚とともに人口減少に当たりたく。ですので『産めよ増えよ地を満たせ』との御言葉は人の為にあると感じておりました。

お孫さんおめでとうございます!
 

( ^^) _旦~~意地不治 に徳 賛美成す術

上りより 降りの方が よく見える 地に伏す方と 共にする方

催促と 最速に揺れ 猛ダッシュ!
キリストの 洗足に馳せ 参じまし

膝上で 決して鳴らない すず虫隊

振り返る 未来を創る 今とぼく

空高く 暑い秋

老い掛けて 滲む心は 熱の帯び

敬老の日

雲布団 駆け抜けた街 添い掛ける

もっとよいとこで良い事を焚火でしょうか。

暮れゆかぬ 紅里で 朱も休み

泣きながら 大丈夫だと 差し伸ばす 受くも払うも 流れの先に

イエスは涙を流された。ヨハネの福音書 11:35

冷たく感じるのは 心が温かいからです 愛SCREAM販売中

すてきな なわばり

かばうかば かば浮かばれる かわばなり

耕せど 芽花に足らずも ミミズは踊り♪

日焼けした わらいじわが 増えた夏

口とがり聞いてくださる白刃の勝負

心乾きて目に雨たまる 雨とは廻りも潤わせ 義に飢える者幸いあり

野良と一緒に雨宿り 止む雰囲気につつまれも その時少し伸ばして下さり ☔

『アンチ』

こちらの言葉を分析した結果あるおもしろい構造が隠されていると発見するに至る。

『アンチ』

言い換えれば

『あたくし曰く あんたんちは あたしんち だから あんちょびは あたしがきめる』

このように展開されていくのではないだろうか

ここで皆様に注目して頂きたい点は2点

あたくし曰く と あんちょびの初めと結び方の部分である

いわば魚類で表現する所の頭と尾尻周辺の部分は繋がっていて

ここに恐るべき関係性が隠されていたのだ!

あたくし曰くの語源はわざわざ説明の必要性はないのだが『カタクチイワシ』であることは皆様周知の事実。

であるから

カタクチイワシでアンチョビが構成されている事実とも合致していることが確認されたのである!(2024年某吉日)

つまり『アンチ』とは

カタクチイワシで出来たアンチョビはおいしいね♪

このような結論に至るのである

{たべたことありませんけど}

あなたの元気を僕にも分けてください!