霊的戦いの狼煙♨
^^) _旦~~ いつもありがとうございます。霊的戦いの狼煙♨こちらは少し長いメニューの一つでございます
野球をする時ボールから作ってしまったり、平常運転なのですがどこか一つ計器が震えてましたり、覚えた知識を使う前に忘れたりします。その折り長短の針が重なるようにひたすら自分を思わない十字架上のキリストの祈りに重なりますと足りはしないのですが・・・。余りある臨在を覚えます。十字架上でありましても最期までとなり人を救おうと主は祈られたからです
さながらアナログ時計にて血が上りそうな逆境の6時と見通しの良き順境の12時のようでございますがご本人以外は一本にしか見えません。またこの時は角度が一度すらありませんから自他を計らなくて良い恵みにあずかっておられ角度なき12時の時報は丁寧に奏でられ聖書に在ります通りやかましいドラの音を避けておられました。この様な文は思い付きではございますが、思いつくのでしたら私にはやはり神様は口語訳聖書にございます『わたしはあってあるもの』という解釈に馴染み深くあるのでございます。
『私はあってある』を『存在と実在』でアプローチ致します
あってあると伝えてくださった聖書の神様が実在世界を開く鍵だとしましたらそれまで実在しなかったものが実在する理由は最初から存在していたからで時間と空間の秩序に置きましては存在しなければ実在出来ませんから実在したイエスが誰にでもただでくださると約束されて存在し続けている聖霊となら存在している神に還れる理屈は理屈ではありません。
また崩れ行く実在したものが存在し続けるには存在し続けてきた方の助け手なしには人類歴史上では不可能なので実在から生まれたものは存在ではありません。ですのでどの様な扱いをしたとしましても実在するものが偶像(神の代替え品)になりえる事に変わりはないのであります。
まことに心苦しいお伝えなのですが人間も動物もサタンも時間も空間も被造物で実在または実在者です。そこから存在を産めないのでありますから嘘以外に存在者になる方法が現時点ではないのです。時間と空間と被造物の実在から存在を完全に知る事は出来ません。(知りたいのですが術がないので存在から示されない限り無理なんです)
ですので神を知りたい方は祈って下さいと牧者や伝道者やキリスト者はお伝えしておられます。(見えませんけど)実在からではなく存在そのものに語り掛けてみてくださいという事でございます。
戸の前に立って叩かれる主ご自身もまた人の目がつぶれないように世界の扉の鍵になって頂くほど小さく狭くなられましたので扉の向こうは眩しくて帽子のツバで絞る程の光量に黒目が焦げ去る期待と共に新しい目はなにを映していただけるのでしょう。黒目とは比喩ですが罪と関わりなく見える世界があると聖書は約束されているのであります。
今回惑わしの霊に向き合いつ霊敵ご本人にお伝えいたしたいことは時間も空間も神の被造物で神ではありませんから老いも崩れも恐れませんし偶像化しません。また私を拝むなら、あなた方がキリスト者なら、日本人なら、等の自己を中心とした思想は信仰でなく価値観ですのでサタンも聖書を知っているむしろ私などより詳しいと備え臨んでいる次第でございます。
^^) _旦~~ キリストの血で洗われ買い取られた私がどうしてキリストが創られた物ものに縛られる事があるのでしょう。それは嘘が嘘を付いて罪と癒着した偶像とするからで、それではまるでエデンの園で起こった失墜が今でも起こり続けている事と同じです。ですのでここが場所なら通過される方、寄られる方もおられますので霊的戦いの狼煙♨上げ前線にてキャンプでございます。(温泉やお茶狼煙でございます)
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