本当のごめんなさいに 思う事。
本日はタイトル通り本当のごめんなさい。についての考察記事となります。
本当のごめんなさいって中々気づきませんし、言えません。
どこかで自分を正当化して息をしようとしている自分を応援したりしてしまいがち。
ですが、
ただ一度だけ私は本当のごめんなさいが言えた時がありました。
父が誤診で他界してしまった時です。
今はもう、誤診をした方に何の感情も御座いませんが
ただ、あの時どうしてもっと父の病に対して真剣に向き合わなかったのか?
専門家に任せておけば助かるとどうして安易に思ってしまったのか?
もう眼が光り出すんじゃないかという位、ごめんなさいにずっと付き合って貰って参りました。
時間が焼き付いてしまって最早体の一部となってしまっております。
ここまで拘ると人のごめんなさいの深度が計れて嫌な人間っぽくなります。(笑)
計っちゃダメなんですが、かみ砕いて腑に落とす時にどうしても味がします。
(事例集)
人にお金を貸して、次また借りにに来る人は切りましょう 笑
本当にごめんなさいと思っていません。
時間がその人の心に焼き付いておりません。
信愛なる方がいるなら
あれこれ根回しして本当のごめんなさいになるまで
その人を待ちましょう。焦ってものんびり待っても時間経過は同じです。
自分が死んでも、本当のごめんなさいが言えるまでは凄く時間がかかります。
ダメかもしれませんが、待ちましょう。
そして
本当にごめんなさいと言った経験のある人は
二度とだれも悲しませたく無いという理念が生まれ・・・・。
ごめんなさい。面倒くさくなったので 終わり (笑)
B型か!!