2020年09月06日

五種の武具と愛の土台

何時も、お付き合い下さってありがとう御座います。どうか、台風10号・・。という願いを念頭におきつつ今日も感じた事を書こうと思います。😊

今回は五種の武具についてと、愛の土台についてその経緯やその他もろもろを、あの、なんでしょうか、書いてたらあれもこれもとまとまらずに噴出するような感じですか、赤のマグマだけじゃなくて色々が噴出するといいますか、ね。なので、そういうことですので宜しくお願い致します。

造り手と食べ手は2つで一つですよね。さて吐き手もいてくださいましたら賑わいますが、食せない事を責める必要など何処にもありません。
といいますのも実体験としまして僕はキャベツと対峙して2時間以上額汗をしたためた事もあります。
本当に食せず色々吐き続けました。キャベツ無理。そんなこと。正論が人格や好みを食べる時代。僕にそれは食べれない。そういう時があっていいとは思います。

弱さとは自覚が出来ないそういう有様の事ですから。自覚など求めるより己が強くなればいいのです。(簡単じゃないけどそれしかない時もございました)当然そんな事当時の僕が理解出来る訳ない。救いなどどこにもありませんでした。

そうして強さといいましたら、今日は聖書が伝える武具についての考察記事となります。ローマ兵を用いた表現ですね。

救いの兜
真理の帯
信仰の盾
御言葉の剣
福音の足履き

この様に5種に分類されていますが、私にとってとても大切な事を書かせていただきますと。用意された武具。これを着用する。または、脱ぐ、貴方が一番大切という事です。武具が大切じゃないです。貴方の為にこれらの武具が出来ているという事を憶えます。

本当にそうです。

諦めずに成熟したキリスト者の方はその様に用いられて、また用いていますので、どうか、そういう世界もあるのだなと・・。安心してほしいと思います。

人に絶望する時もありますでしょうけど、その時を喜々として捉え、武具が人より尊く用いられるのが宗教や哲学や心理学です。絶望した人より、何故武具が前にでるのか。私はそう捉えていますから、キリスト教でも当然宗教の形態をとっている事もあります。渡り鳥程ではないにしろ、それなりに何十年も渡りました故その程度の理解は容易であります。

ですので気付けたとしても五種の武具は五種の武具に貴方が合わせに行くことではないのです。五種の武具は貴方の為に用意されているという事なのです。五種の武具が揃わない貴方のことを、神は何も悪くは思っていないのです。ですが、五種の武具が揃ってほしいとは思っています。五種の武具の本質は恵みであるからです。

それでも、五種の武具は置いておいても、そうだ、望遠鏡ならどうでしょうか。遠くが見える望遠鏡、貴方専用の望遠鏡。でもね、一度誰かに借りた望遠鏡で覗かないと望遠鏡の素晴らしさって解らないじゃないですか。その様に。今昔、若老、置き。望遠鏡の先に見た景色の事。其処に至るまでの導きへの実感です。じつかんかく。じつかんかくあればこそ

真理の帯に絞められて吐いてはだめで、救いの兜が垂れて目がふさがれてはだめです。救いは一人では成せませんし、刻めません。
救いとは、救われた人は24時間意識出来るからです。何故なら御霊が24時間共にして下さるからで教えや教義が共にする訳じゃないのです。また、御言葉の剣と盾は防御に使うべきです。福音の足履きは、軽やかに私の体を持ち上げます。それから為に生きるでもいいし、為に死ぬでもいい。

どっちでもいいから、私が選択した先に見る景色その景色が何で出来ているのかという事も神様は守り貫こうとしている事を私は憶えます。それ故に、私の眼の為に自らの神聖を捨てられた事を憶えています。貴方の右の眼がもし罪を犯すなら、右の眼をくり抜きなさいと私に命じた神は先に御自分の右の眼をくり抜いて私を視続けている事を私は憶えます。くり抜かれた右目こそキリストであります。命じた事は、愛ゆえに御自分もそれに準じ実行した事を私は憶えています。壇上に居て人に命じた事を自分がしないのならそれを神とは私は呼びません。何故なら神は律法や教えや自我が勝手に創りだした相対的な価値や価値観ではなく、絶対的な愛だからです。神は愛です。私やあなたじゃない。有限の被造物では、それでは、凶刃に倒れた命や救われる方が少なすぎるからですし、あなた自身の自我が及び罪が、永久にその印の証明を必要とします。それを望むならそれはそれでもうそこに触れには参りません。

この土台に在って多くの価値や価値観で出来た人の建物が賑わいをみせています。高層ビルもあり、小さな屋敷あり、個人の眼にはいかがわしき建屋もあるでしょう。これが在ることに多くの要らぬ感情は働かないのですから、価値や価値観は土台では無いと私は世界をその様に捉え切れていて落ち着いています。価値や価値観を土台と据えますと容易に揺れます。(昨今の私の様に。動画の様に。)

落ち着きを頂いた私は大いに賑わいの中に飛び込む事も許されました。とはいえ建物の古き良き斬新良きはあっても 建物への落書きや盗掘や破壊行為、形の変わる行為、凹みに溜め込める行為は是非避けて行きたいと思います。それは私個人の所有じゃないからです。賑わいとは、所有しないから起こる波に似て、提灯の下で飲むに似て、市場の匂いにも似て。その様な機会を頂く事は有難い事で御座います。

(@^^)/~~ それでは今日もお疲れさまです。お休みなさい。