2020年09月02日

何も手に持たない日

手に持たないようにいこう

今日は(神=私は在ってあるもの)と、聖書に教えられて来ましたように。
なんとなくですけど
何も手に持たない日を迎えておりました😊。

そういえば・・そうなんですね

私は手に持つと握りしめて壊してしまったり
手に持つと人様に投げつけたりもしてきました。
こういうのはけっこう沢山ありましたので、(在ってある)
ここに意識が向いていたのだと思います。

それでね。
手に持ったその先は、いくらそれが大切でも
本来の色が変わったり失ったりすることにもなって
本来の色を見て欲しいと望んだ逆にも相なったりもしました。

そうなってきますと、自分でも考え混んじゃって
元々の色はどんな色?
手垢のついた色でもなく
熱でひん曲がった色でも無く
凍り付いて割れてもいないとなりますと・・・。って。

あ、(笑)
あ~たぶん、こういうのが私には立場問わず足りてないのかもね。
また、手に在った物を視ないで、手に付いた色を視ようとしてるから。
そこへまた手を伸ばそうとしている。((´∀`))

そんな感じで
わがやにはまた仲間が増えましたので動画にしてみました。
お題は元色の命と書いていますが、元色の命はOOであるという
このOOである の部分が手に持つ部分で、いわば取っ手だと感じていますので
ここをちょっと見据えてみようと思います。できるだけね。手に持たないで。

手に持てる物が大切なのかどうか
手に持てない物が大切なのかどうか
どっちも?どっちかな?

でもそこには私にとってのお手本がやっぱりちゃんとあって
ゲッセマネという丘でキリストが切に願い祈る時の最後に、(ですが私の願いではなく神様の御心のままに)と括られましたから、私も切願は同じように一度だけでいいとここで教えられました。

(本当に大切な全ては、私の手に在り続けてはいけないと。そう信じています。)
私は信仰者ですから自分の技はもういいので、神の御業に触れて生きていきたいのだと思っているのですね😊。

(@^^)/~~~それじゃ。今日もお付き合い下さって。ありがとう。
よかったら動画みてくださいね😊。とてもかわいいですよ。(笑)