2020年08月07日

霊性で書かれた

昨日は、尿検査と血液検査とCTなどを受けておりました。今の検査体制は凄くて、その日の内に結果を頂けるのです。

結果は、やはり中性脂肪過多。
あ~やっぱね。
がんばって痩せないといけませんです。ハイ。

そんな今日も思いついた事をまた、書きたいと思います。
そのまえに
私はかれこれ何十年、もう本という本を読んでいません。
本をよまないけど書くのは嫌いではなくて
こうして、書いてます。
ですので、文章はあまり上手くなりませんし、使える単語も増えません。
💦

何故そうなのかは解っていまして
私の内面の要求が常に
自分で考えて、自分でやってみて、自分で改善するのが楽しい。
これが染みついているからなのだろうと思います。

で、

染みついた原因は何かともうしあげますと
やっぱり聖書の解釈だと思うのですね
何故、聖書解釈なのかといいますと

身勝手は承知でしたけど
敬愛する方々をどうしても助けて欲しかったんです
神など居ないと言ったままに他界された方を助けて欲しかった

ここで何故これが身勝手なのかをお伝えしますと
私の無意識は敬愛する方々に限定してしまうからです。
ほんまに。。。
その自覚が出来るので、僕は罪を帯びていると解ります。
ですから逆にキリストは罪を帯びていないと解るのです。

また、今考えて振り返ってみれば
思い付きや想像で書いた文面は時に
神様の助けや神様の後押しがあった事を確信しています。
文章表現を書く人はご理解いただけると思うのですが
言葉が降りてくる感覚を皆さん味わった事があると思います。
たぶんですけど、詩や音楽もそうで
とても人が人だけの感性で作ったとは感じれない物もあると思うのです。

ここを紐解きますと、
詩や音楽や文章と同じくして
聖書も神様の霊感で書かれているという確信が持てるのです。
私はずっと書いてきましたのでそう確信しているのです。

これを神様は私に伝える為に書く事を手伝ってくれたのかなぁと思います。
ですから逆に
人様の文章も霊性に満ちた文章だと、とてもハキハキと喜んで読んでしまいます。
結局読んでいるか、もしくは聴いているですね。

さて
今日は裁くの反対語はどうやら裁かないじゃないっぽいぞという内容となります。
これは信仰者限定になるかもしれませんが
ポイントは下記の3つ

①神の子が死んでも愛した人を裁く貴方はいったい何者ですか
②裁く貴方が裁かれます
③愛は寛容

これを紐解きますと
私が裁こうとする人は神様が死んで救おうとした方です。これを意識してねということと、私が裁こうとしたら私が裁かれますということ、これはキリストを二度十字架に付ける行為と同じですよという意味ですね。もうキリストは裁かれたのですから。
がんばります。

③番目のポイントは愛は寛容

認識の違いや目的の違いは必ず出てきますから
他人を裁かないと躍起になる前に
うっかり自分を裁かないで下さいという事ですよね。
裁き過ぎないでねという事でもあります。

裁きは失望に繋がりますけど
自分への寛容は喜びに変わってくれますし

そもそも

喜んで改善する方が責められたり責めたりして改善するより嬉しいですし
責めたり、責められたりして改善した物ってやっぱりイビツで
なんか可動可視領域が小さくなってしまう感じがします。

だから
自分が望んでいる世界は皆が喜べる世界じゃないから
余計に自分が喜べない程に自分を裁かなくていいと思うのでした。

僕も勿論だけど、ほんとにもう自分の居たい場所におればいいよ。
時代がどう変わろうが、何が流行しようが
神様はぜったいにその場所を取り上げたりしないから。
取り上げる前提が働くときはもっといい物との交換となりますから。

(@^^)/~~~ 今日もありがと。
お疲れ様でした。また来てくださいませ😊。