2020年08月05日

滲み輝く

皆様こんにちは。
もう・・。ダメかも・・。というくらい暑いですね😊

さて、そんな本日は
何故、子供の頃の輝きが今の輝きに陰りを落とすのかについての考察です。
考察と申しましても。陰り落としと申しましても
マイナスのイメージではなくて限りなくプラスに持っていきます
たいした考察ではありませんが懸命に記します。

私が想うにはやっぱりね
ノスタルジーが滲み輝くのは距離感だとおもうのです。
なんの距離感でしょうか?

それは 死です。

子供の頃の死感は、果てしなく遠い。
そう思いませんんか?
子供の頃はずっと生きれると思っていませんでしたか?
ですから望郷は滲み光のだと思います。

ところがどうでしょうか?
思春期を終え、青年期も終え、生殖期も終え、婚期も終えますと
残されて見えるものの。第一は死ではありませんか?

そうです。こいつです。
この死を何とかしない限り、ワクワクもウキウキも
持つことも、伝える事も 無理なんです。

それは、乾き切った土地に何千リットルの水を飲ましても
また、乾くという事と同じなんです!

強めに書きます!!いい加減に!!あなたの加減に従って
これは解って頂きたいと血を持って証残します。

いいですか!!
無理なものはムリなんです。役割が違うんです。
頭が手の役割を担う事はムリなんです。

いいですか!!
命捨てない者に物に
命を繋げる事は無理なんです!!

何度もいいますけど、活かす為には死ななければならない事もあるんです。
食だってそうで
あなたの躍動を支えているのは命なんです。
その命はあなたを心から愛して自らを暇ないのです

解りますでしょうか?
命は命で担保されています。
その担保はあなたが払わないで、すでに十字架で払われているという事なんです。

そして何よりも増して
その十字架はもう何度も払う事はありません。

無知に鞭打たれて、ミミズ腫れではないですよ
骨肉が見える程の壮絶な鞭打ちです
解りますか?
肉が飛んで、骨が見える程の鞭打ちです
また、意識が跳んで、崩れ
手に打たれた釘、足に打たれ釘
激痛で目を覚ましても
誰も、呪わない、激痛が感情に至る事が無い
神の在り様です。
この方こそ神です。それ以外は絶対認めない
最後には壮絶な窒息死です。
息が出来ないのです。
その中で彼はなんといいましたか?
なんと言ったか解りますか?

(神よ。私を虐げる人を許してあげて下さいと祈ったのです。)
もし、神が居なかったとするのなら
もし、この方が神を知らないのならば!!

どうしてこの様な状況下に遭って
そうしてこの祈りが出来るのですか!!
この当時の
どの様な人的文献を持って来て
この祈りが出るのか教えて頂きたい!!

その様な訳で
僕はイエス・キリストがもう二度と
そうです、もう二度と十字架に付かない事を喜んでいます。
愛する兄弟姉妹の方々。聞いて下さい。
僕は、僕の罪を許された事よりも

キリストが二回、二度と
十字架に付かない事を心から賛美しています、
アーメン

願わくば主よ
死を取り除いて下さい。
貴方の命で私達の死を
死に怯える方々の心を
未来永劫に取り除いて下さいと
切にお祈り致します。