群れない群れ

みなさま こんばんは。😊

本日は。何故キリストがペテロに対して、私に付いてきなさいと言ったのかを考えていました。

イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。 二人はすぐに網を捨てて従った。マタイ4:18-20

何故キリストは付いてきなさいと仰るもののペテロに網を捨てなさいと言われなかったのが大切なところであります。(この時のペテロは漁師業を通してむちゃくちゃ人を愛する事に熱望されていたと思います。だからこそすぐに網をすてられたのだと思います。)

時に人は偏った考え方は視野を狭めるからダメ。行き過ぎた行動や発言は過ちであると定義付けてしまうかもしれません。

今日の本題は、キリストは何故、過ちを捨てよ。とは言わずに先に付いてきなさいと言われたのかを考えていました。(ペテロは後にキリストを庇う為に剣を振るう程の激情も持ち合わせた方である事を知っておられたからでしょうか。)

そんなペテロは網を用いて暮らしていたので、それを先に捨てて?と言われたらどういった返答をしていたのだろうかと考えるのであります。

ここを置き換えましたら、偏った考えの方行き過ぎた思考をお持ちの方にそれを先に捨てて下さいと願う事。それは果たして愛なのでしょうか?という事で御座います。

結論から発しますと、愛に制限を設ける事は価値観や律法では出来ないのだと私は思います。

そうしますと、最初は偏っていてもいい。行き過ぎていてもいい。どんな人でも、どんな方でも、愛を求めて、愛についていってもいいのではないでしょうかと。。。

もしそうでなければ、誰も愛に付いて行けなくなるのではないでしょうか。最初の一歩がこんな私ではなどと、恥ずかしくてその一歩が踏み出せなくなるのではないでしょうかと。

感じるのは私ではなくて

わたしではない人だからです。

そんな風に感じています。

群れない群れとはそうではないでしょうかと思います。(しかしながら目的の近似値によっては群れて群れて群れ捲って下さいとも思います。だってその方が暖かいです😊)

愛は価値観の内には働かないと思うのでありました。

愛で考え、愛で捉え、愛と活きる
泣くものと共に泣き
喜ぶものと共に喜びたいと願います。

本日の日曜日に頂いた事はこの様な事で御座いました。

(@^^)/~~~ 今日も来てくださってありがとうございました。
それでは!また。宜しくお願い致します。m(__)m

この記事を書いた人

【鈴木 大輔・広子】

【鈴木 大輔・広子】

皆様こんにちは。ご訪問ありがとう御座います。
【屋根工房きのした】親方の鈴木大輔です。

このホームページの記事は2011年から全て私達現場の職人達で綴って参りました。雨漏り修理といえど殆ど何も情報が無い時代から皆様から頂く御信頼と共に沢山の実例と気付きに支えられ【必ず直す】という個人的な意志を全うさせて頂きました。ご迷惑をお掛けした事もございましたが本当にありがとう御座いました。

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