赦しの為の開放だと思うのです

こちらは人体の神秘的な動画。
実際に神秘をもっと鮮明に見れましたら
美しき神の臨在をもっと感じるのではないかと何時も思います。

みなさまこんにちは。😊屋根屋です。同じような悩みをお持ちの方がおられましたら参考になればいいなと思いましてまた書いています。

(何故あなたはあなただけでいつまでも解決しようとしているのですか?)この様な投げかけを頂く事が私には御座います。何故の答えは解っていますので幾度となく戻されますととても心持ちが軽くなる瞬間がありました。

いきなり何言っているかわからないですよね。ごめんなさい。よくこのブログを読みに来て下さる方はなんとなくまたかでありますでしょう。

といいますのも、未だに居座っている私の中の価値観や固定観念や罪悪感。あらゆる指標の様な物が私を捕えようとする機会があったからです。(個人的な事で人が関与している訳ではありません。)

幸い異変に気付くスピードは以前の私とは比べ物にならない位早いので自慢の様に聞こえてしまったら申し訳ないのですが、私の魂は私の内面に在る価値観や固定観念や罪悪感をとことん必要の無い人工物だと認識しているからであり、(私限定ですので誤解成されませんように)これらを用いて縛ろうとする誘惑や罠に対する感度がとても上がっているので御座います。

敵の誘惑や罠は善き悪しきに関わらず縛りがあるなと直ぐに感じます。(もういつまでも其処に居たくないという意識がとてつもなく強いのだと思います。)

此処を視るにあたる対処として今、私の部屋の壁に貼っている言葉は聖書の言葉でありましてそこにはこう記されています。

あなたがたは、恵みのゆえに、
信仰によって救われたのです。
それは自分自身から出た事ではなく、神からの賜物です。

頂きましたこの御言葉を少しだけ分けて考えてみますと。

恵みとは一方的な神様からの贈り物の事で
信仰も元々は自分には備わっていませんから贈り物で
救いも自分から出た物ではなく神からの贈り物です

(恵み、信仰、救い)
これらは完全に内面の外側からの贈り物ですと伝えてくれているのですね。

内面の不安や価値観や固定観念や罪悪感が僕の魂を捕らえようとするのですが、それとは逆に神の言葉はそれから解放されるようにと何時も内面の戸口付近に贈り物の様に置かれてずっと待っていてくださるのです。

時には呼び鈴を押される事も御座います。もちろん扉を開けるのも閉めるのも個人の自由なのですが、扉の内側から外側を視る事は物理的に無理ですし、扉の内側に自分の意志が居てはどれだけ広めても受け入れる許容には個人差はあるにしてもやがて限界が訪れます。なにかと比較しても一時的な開放感しか感じてくれません。

一般的には3度の過ちを赦すあたりで大体OUTでしょうか。どんなもんでしょうか。私は3度以上耐えた事は幾度となく御座いますが、限界を視たのならそれは五十歩百歩で御座います。(ただ、限界を視ても諦めたくないですし、いい訳もしたくなかったので今も求め続けています。)なので自己練達の為にも書いていますので過去の自分の記事に余りというか殆ど興味が戻りません。未だノシノシ歩いている過程であります。

上記の様に魂が解放される理由の一つに赦しがあります。(救いとは僕が個人的にええかっこする為じゃないですし、比較やマウントを取る為でもありません。)ですので贈られた贈り物にも責任が伴っているので責任は重大で御座います。外に出たけど後は知らないでは済みません。次にどんな約束がされているかが在らないと意味がないのです。聖書的に御説明しますと下記の様な危険性だってあるのですね。

汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。そこで、『出て来た自分の家に帰ろう』と言って、帰って見ると、家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました。そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住み着くのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代もまた、そういうことになるのです。(マタイ12:43〜45)

いわば言葉こそが約束であり責任でありますので、ずっと言葉と共に歩む事となります。これは価値観ではなくて普遍であり大きな前提となります。言葉無き約束はありえませんし存在しないという事でございます。

自分の魂が外に出た。そこからがまた赦しを伴いつつの大冒険の始まりでもあります。解放感もとても大切ですがそれだけでなく赦しを働かせる為にそれは在り、その場所には信仰の巨人達がウヨウヨしていて。デカイなぁ速いなぁと私は何時も嬉しくなってしまいます。失敗したとしても悪魔が付け入る隙が無い位自戒と謝罪が速いのです。視ているのは自我と悪魔の両方でありますが、悪魔に魅入られましたら自分は絶対悪くないと言い張ります。それが悪魔の戦略だからです。(自分の親の喧嘩を視てもそうでしたし、自分にもそういった面も御座いました。)

また、冒険して躓かれる事は在ったにしても、自らの命を犠牲にして多くの乗客を助けた長野さんも此処におられたはずだと個人的にはそう感じていますし、人格より命を最優先されていた中村さんも此処にいたはずだなどと感じる次第で御座います。

ですので続く私は万軍の主の末座にありと目的だけ掲げては。成りはポニーホーテでも良くここからそこを目指させて頂いています。(成せる成せないはそう大きな問題ではないです)成せる成せないを受け入れて下さる神への信仰が私には最大問題であります。

そうしますと

解放された魂は
神の言葉と共に在り
神の言葉が創った恵みを頂ける事となります。

価値観は世界観へ
固定観念は過程観念へ
罪悪感は解放感へ
神秘や変化は恵みへと

神様が創られた神秘は今回ご紹介している動画だけでなく多岐にわたり存在していてそれらは全ての被造物が証してくれています。ちょっと怖い位に無数にあります。何故そんなにという位です。神が居ないという方が最早おかしなくらい存在しております。

時に神の愛は神の言葉が創られた被造物を通して
価値観
固定観念
罪悪感を
通さないで
ダイレクトに人の内面に届いてくれます。この恵みが何時も何時までも私の内面の不安を打ち消してくださいますのでこの世界は神の言葉で創られた事を信じています。

(@^^)/~~~それでは皆様。善き週末を。今日もありがとうございます。😊

初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。ヨハネ1.1

この記事を書いた人

【鈴木 大輔・広子】

【鈴木 大輔・広子】

皆様こんにちは。ご訪問ありがとう御座います。
【屋根工房きのした】親方の鈴木大輔です。

このホームページの記事は2011年から全て私達現場の職人達で綴って参りました。雨漏り修理といえど殆ど何も情報が無い時代から皆様から頂く御信頼と共に沢山の実例と気付きに支えられ【必ず直す】という個人的な意志を全うさせて頂きました。ご迷惑をお掛けした事もございましたが本当にありがとう御座いました。

一般家屋を中心としビル・工場を含めた雨漏りの事例や対処方法を86記事、技術考察記事を45記事程明記しておりますので御入用でしたら是非お役立てください。その中にはDIYで直せる雨漏りも混在していますが御自分でなさる際には安全には充分にお気を付け下さいませ。

引き続きまして今後共、何卒よろしくお願い申し上げます。
【共に恵まれ共に喜びましょう】