先日長女の大事なお友達。
モルモットのモッチャンが天に召されました。
今日はモッチャンの葬儀といいますか、お見送りでありました。
動物葬は亡骸を動物用の葬儀場に持って行くのが今まで主流のようでしたが、今回は葬儀車が自宅にまで来てくださって其処でモッチャンは熱く小さく骨に帰っていきました。
何時も命と別れる御本人の苦痛を視ては未完成な言葉でも用意しようとしているのですが、こういう時って御本人の内面が固まっていませんから簡単に型が付くのでほんまに怖いのです。
僕は過去にも最近にでも結構逆の立場の時に鍛えられたのでいいのですけど、自分が何か触らないほうがいいのか、もしくは触ったほうがいいのかの前に御本人は想い出の中に行ったり現実に帰ってきたりしている訳ですから哀しい事はもとより、駆け巡り方が倍化しますのでとてもしんどくて疲れます。その疲労も分単位で変わってるとおもうので置いていく言葉でも難しすぎるのです。視てる自分がしんどくても掛けちゃだめだとおもいますし。。。
どれくらいだろうかなぁ。たぶん。モッチャンが生きていた時の10倍は駆け巡ると思う。しんどいやろな。
しんどいか?とは言えず。うーmm。
++++++++++++++++++++++++++
ただ私は信仰者ですから
死は一時的な通過点に過ぎず、動物は皆天国に行けると信じていますのでモッチャンはもっと素敵な場所に行ってそこで長女を待っているとは伝える事は出来ます。
ですので、私の機会の時は是非!!明るく大きな声で讃美歌を歌って下さいと強く想うのでありました。使徒の方々はもとより私の知る多くの信仰者の先輩はその様に確信して死に打ち勝ったからであります。
この様な機会も未来への希望のバロメーターだと思っていまして。より大きくより声高らかに賛美出来た方が幸せです。次が来ると完全に信じていられるのですから。
未来はそれでよく、また、過去を視ては死にたくても、死にたくても、死にたくても、死を選ばずに踏みとどまってくれた先人の命の連鎖が今の私であり皆様なのでありますから、(モッチャンもそうだね)嫌いな人でも凄い人で、独りに見えても大勢が繋げてくれた人なのだと思います。そうやって内面の死を遠ざける選択肢も御座います。m(__)m

過程は在っても結果は存在しない
そんな事を意識していました。😊
直ぐ忘れるけどね(笑)