本日は雨曜日。
作業は中止で部屋の中でゴロゴロしておりました。
そういえば家内が娘に頼み事をした時
娘がゴロゴロしてて忙しいとの文章を返すのを見て二人で笑った事を思い出しました。
(ゴロゴロしてて忙しい。)

ゴロゴロしてて忙しい
なんともユーモラスな表現で頼み事などどうでもよくなる言葉だなと、見習いたいと思いつつ、見習っていいのだろうかとなやみつつ、どうでもいいかと笑い合えるひと時。
何時も言葉に助けられる毎日に感謝致します。
さて、
コロナウイルスに消沈する物の私には喜ばしい兆しが届けられています。
4月から共に戦ってきました職人さんが重い病から回復されてまた共に頑張れるとの事。
4月はもうすぐそこでありますから、届いた兆しを実際に開封するのは少し先ではありますけど、今一番の楽しみでも御座います。
不思議と艱難の後の兆しがどうしてこれほど眩しく映るのかに想い馳せます。きっと全ての艱難には意味があってそれが行き過ぎた後に普段感じる事が出来なかった物を感じる為の布石である事の様な気がしてなりません。最早これは私の歩みにありまして確信の様な物でもあります。
(神は全ての事を益として下さる)
重病を患った友がどれ程大切な人だったのか、どれほどこの世界に必要な人だったのかに想い馳せる時に艱難や試練の意味を深く視る事も適います。この想いは私だけではなくて、むしろ、神様がその想いの源流である事を私は覆す事は致しません。
私ですらこうなのですから
と、いいますのもやはり地球の裏側の人の死を私は深く感じれないから私はこの程度という意味で御座います。
そうでありますから
神様の人々への愛は限り無く深い。
ですから皆が見える様にと、感じれる様にと、十字架によって死の恐怖を取り払い希望へと変えて頂いたのであります。
貴方や私がどれだけ
哀しんで
傷を負って
苦しんで
ひとりぼっちだったのかを
誰よりも知っておられる方、ともすれば、私や貴方より、私や貴方の負財を深く知っておられる事も容易く想像出来ます。人の意志は意志無く生まれる事は無いからであります。必ず最初に貴方や私を望んだ意志が存在します。その意志は貴方や私の事を知らないはずがありませんから。
ですから
神様の労いはまるで岩盤の様で決して崩れません。
がんばろう。
決して岩盤牢ではなくて
岩盤労
この様な言葉を頂きまして
足りるとも、足らずとも、解りませんが
決して知らない事が恥ではありません。出来ない事が恥ではありません。それを知っては喜び踊り、それが出来た時の感謝は私や貴方に用意されている恵みその物ではありませんか。
ゴロゴロして忙しいのも
何かをがんばっているのだなと・・。感じる一日でありました。
今日もありがとう。今日もいっぱいお疲れ様す。💑