2021年02月16日

生ける神と出会う

(@^^)/~~~ みなさま本日もお疲れ様です。今日もありがとうございます。

生ける神と出会う
生ける神と出会う

最近の私は結構勉強もしてます。興味のある分野はやっぱり精神世界とか宗教です。それでこの記事の大切さを再認識しましてタイトルを生きる神に出会うと改めさせていただきより深く綴らせて頂こうと思います。本日音声の聖書をいつも通り拝聴していましたら内面の慟哭が起こり言葉は昔でも今でも垣根が無く働いてくださる神の恵みである事を悟らせて頂いたからです。やはり私は悟りすらも自力ではなく聖霊の寄り添いがあってこそと確信しています。これは傲慢に落ちない様にして頂く神様の知恵でありますね。

ちなみに僕の信じている世界は聖書の世界観でして、キリスト教を信じているのではなくて、聖書全体、歴史書としての聖書、予言書としての聖書、霊性で書かれた聖書として信じている次第です。霊性で書かれた部分は言葉を紡ぎ出した動機がそうなのでもう特に信じていますし。霊性によって何千と言葉を頂いた経緯が私には御座います。また、聖書は歴史・予言・霊性に於きましてまるで矛盾しない世界で一番読まれている神様からのラブレターの様な書物で御座います。

で、こういうのって、ほんとうはね。元も子もあったもんじゃないのですけど、触れない方がいいとも思うように変わりました。その方が幸せな毎日を過ごせるはずですし、気にしない毎日の方が楽しいと思います。

希望が見いだせないから希望が必要という理屈と同じで出来たら希望が無い世は完全に楽しい世界であるわけですから。最近の僕は、日本の人で聖書を読んで信じている人が1%で良かったと捉え方が少し変わって来てるのです。

以前は何故この国では認められないんだろう。。。と、しょんぼり思うと悔しかったです。でもそれはずっと自分の(過去が創った)価値観の中に神様の御計画を押し込めていたからで、そこから時間は掛かりましたけど、自分の自我を出して頂けたので視える世界もまた変わるのでありました。

また、1%どころか、色々な新興宗教やカルトやスピリチュアルの方がイエス・キリストを色んな立場に据えて利用しておられますが、最近はもうそれでいいかなとさえ思っています。

感情ではなくて論理的に考えて頂きたい事は、聖書に記されているキリスト以外の解釈や付け加えは自分達の罪やエゴや価値観である事自体に気付けていないのです。いわば、罪や価値観やエゴがあるから気付けないのです。であるのに罪はないと謳っておられるのがもう意味不明な程矛盾しているのですね。ですから本音はキリストを使わないでなんとか新興宗教やカルトやスピリチュアルを信じて欲しいと思います。

【それでも私ではなくキリスト】

たとえそうでありましても、キリストが十字架上で叫ばれた言葉は不滅でして(完了した)また、(父よ彼らをお許しください彼らは何をしているのか自分では解らないのですから。)このイエスの執り成しの祈りに全て要約されていまして、この祈りは今でもはっきりと有効でありますから、僕はただキリストの御判断を賜るだけで良いと慰めを頂くのであります。本当に憤りが消えてしまいました。

そうでありますから一時の価値観の危うさや脆弱さや変化の激しさを視る内に自分の価値観の中にずっといるのも嫌になったのです。これは自分にとって凄く大きな恵みとなるのでした。また、ある一面では、1%に留める程に、それくらいに、先輩の日本人の方が頑張って生活基盤を安定させてきたからという背景も決して無視できないからです。

今一緒に働いている兄ィを愛しみ観てましたら一層、その解釈は強まります。兄ィは70歳を超えていますけどガッツは30歳代位です。何にも一歩も引けを取っておられません。ですので1%が日増しにどんどん愛おしくなっていくのでありました。

その様な前提の元でとても今の私と感覚が近いジムキャリーさんの動画を御紹介させて頂こうと思います。

富や名声で人は幸せになれないという御自分の感覚を伝えておられます。必要な人には凄く響くのではないかなと思いますし、私個人的にも同感する箇所を多く頂く事となりました。

この感覚を説明する為に必要な、本当に大切な事は定義付けや価値付けをしない事であります(悟ったとか、禅宗で言う所のとか、アドラーの言う共同体感覚。スピリチュアルで言うワンネス。量子物理学でいう全ては素粒子。アインシュタインの言うE=mc2。)

この様な人が造った価値観による定義付けをすれば、せっかく価値観の枠から出ようとする自我を再び引き戻す事にもなるからです。感覚・感性は御本人の自由ですし、定義付けに意味はなくて何だっていいんだという事を動画でも仰られておられるとおり、先ずはここをクリアしないと中々生ける神と出会うという事は難しいと思います。

嫌味や否定や非難じゃなくて価値観や定義付けは本当に要らないんです。僕に置き換えましたらキリスト教という価値観や定義付けは要らないという事です。固定観念の回避や説明にどれだけ無駄な時間を費やしたかわかりません。神はキリスト教ではなくて、在って在る物であられる方であるからですね。イエス・キリストもキリスト教ではないのです。

なので魂の開放を定義付けた瞬間に彼も人類も神様に辿り付けなくなります。(定義や枠の中に居たい人との住み分けは尊重できますが、その枠内に自分が居ての自己主張や定義主張こそが解放されたい自我や罪やエゴの正体なんですね。)自我や罪やエゴこそが自分との争いや他人との争いを引き起こす原因の一端を担っているという事であります。善い悪いも関係ないんです。

また、別の角度から愛についても伺えます。、ここで彼が感じている神様は愛ですから、近年代に人が創った価値観や定義の中に納まる事はありえません。もし愛がそこに納まってしまうのなら提唱者以前の価値観を持つ魂は絶対に救われないからです。

これは愛に違反します。

救いは僕が想うから私が想うからで成ってはダメで主体は人間であっても主権が絶対的に必要なんです。

ですので時間軸を創った。時間軸を超えれる神ご自身が人間がずっとこれからも創り続ける価値観や罪やエゴの犠牲にならない限り過去の人間の救いも成就する訳はないのです。いわば切に望んでも、もうどうしようもない先祖の霊や親殺しや子殺しで倒れていった霊です。これは現在も未来の子孫達でも同じ事であります。

ですから動画の中に在る。自分が嫌いだという方に嫌いな自分は存在しない。もしくは何時か消えるという事こそ、その人にとっての救いになると同感しています。定義や観念は御自分で創っているか?周り環境から作らされているか?もしくは見えない悪霊からの呪縛かもしれませんが倒せないものではないからです。

誰か何かを嫌う事こそ呪いその物でもありますから。嫌う事にも嫌われる事にも勇気は要らない。そんな世界が終わる事にこそ勇気を用いて行きたいと願うのでありました。終わらないのであれば勇気が無限にあっても意味がないじゃないですか。

また、救いに於きましては時間の概念がある以上、過去を創った神以外に人の魂を救う事は無理なんです。これが僕の内面にある1%です。ここで勤め上げてます。ですから本当はこんな僕の世界観など無くても誰もが笑って暮らせる日が来てくれる方がどんなに嬉しいかはかりしれません。

それから最後となりますが愛との交わりに付きましても、元々在った世界でないと経験していた世界でないと感じれないのが人間です。これはそう。ほんとにそう。もしジムキャリーさんが感じた世界が過去で無くて未来から来たとするのでしたら今感じている事は未来から帰って来た方と捉えない限りありえないのです。

なので人は輪廻があってもなくても、昔エデンに居た記憶、エデンを経験した感性が無くなってないと僕は信じていますし、未来は完全だった頃の過去への回帰があって、そこからの再創造であると信じています。意識・無意識は問わず人は無から有を創れませんのでいきなり無から未来を創造する事は不可能だとおもっているからですね。

またこれは、イエス・キリストが居なければ新興宗教やカルトやその他も出来なかった事と同じで御座います。そういう世界観を組み構築して命ある限り尽くさせて頂こうと思っています。(^^;)

(@^^)/~~~生ける神と出会う。この記事が何かのきっかけになれましたらとても嬉しく思います。読んでくださってありがとう御座いました。誰ももう死なないで。