2021年02月01日

愛し合うとはこれでしょう

先日は久し振りに家族の皆でクルクル寿司を頂きに行きました。
いやぁ、日曜日のクルクル寿司はコロナ禍でもそれなりの人々で賑わっていまして、皆マスクを着用されておられました。小さなお子様が普段の洋服で、着飾らない洋服で、真っすぐに目と手を伸ばし食事されているのを見ますと、つい何十年前までの私達家族の様を見せて頂いているようで胸が締め付けられ黒汁が全くと流れ出て。守らせて下さいなどと、思う訳であります。いや、きっとなどと、思う訳であります。(頑張ります)至福の時で御座いました。

世界観と土地観
世界観と土地観

本日は愛し合うとはこれでしょうと題しまして綴りたいと思います。
何時も来て下さってありがとうございます。この文がお役に立てましたら嬉しく思います。

クルクル寿司に向かう前。玄関から出る時に長女がスマホを忘れてしまったようで一瞬取りに戻ろうとしたのですが、まぁ。いいかとポツリと呟いてスマホを手にせず向かう事になりました。そこで僕は、あああああああ、と妙に腑に落ちる事があり、今これを書いている次第です。

どういうことかと御説明致しますと

昨日は価値観と土地観と世界観というタイトルで書きましたが、これの順番がとても大事だと頂いたのでした。僕の場合は価値観→世界観→土地観と視て来たのですが、これだけではなくて繋げてもう一回戻った方がいいと頂いた訳であります。

世界観→土地観→価値観と(主観を使う順番が逆になってます)意識する順番がこうなら、おそらく人はぶつからない。実は長女とクルクル寿司に行く前の段階で無意識にこの様な順序でずっと話していたのです。長女の価値観に触れるのは最後か、もしくは触れない。で話していました。

そうしますとね。

世界観と土地観の話が必然的に長くなりますから。(それはとても良かった)聖書のこの御言葉が働いてくれる機会が多かったのです。事象、事物の善い所を見出そうとしている時間が長いのです。

この頂いた時間の意味する所は

夢は価値観の領域の話ではなくて 世界観
人間性は価値観の領域ではなくて土地観(環境)

そして最後に価値観となるのですが、価値観は結果の積み重ねによる物が多いので、それほどまでに重要とは思えなくなってきているのです。価値観が出来る過程や結果は無数にあって合わないんです。どうしたって合わないのですね。無理w。無理なら無理に触れませんしそれは結果として尊重している事にも繋がります。その様に感じておりました。ですので無理に尊重しなくていい訳です。あ、それわかるぅ~を無理しないでね、全然わからな~いwでいい訳です。(笑)

だけどこれから夢をみたり、希望を抱いたり
すでに良いとされている場所を視る事は

よっぽどの事がないかぎり 合います。どうしたって合う。

そうしますとやっと
聖書の言葉で最も重要な言葉は(愛し合う)ことですから。これはもう昔からずっとそうなので、やっとこさ見い出せたと思っています。価値観同士で愛し合う事は罪も混じっておりますからとても難しいという事も見出せています。

ですので(合わないと愛せない)のなら(愛無くば合わない)
やっぱり価値観の重要性は僕には薄くなっています。限りなく透明に近い。

よくよく考えてみますと、価値観だけで生きたくないから思考の海をもがいて来たのです。陸地があってスッキリしました。ありがとう御座います。(^^;)

(@^^)/~~~そういった感じでまだまだ紡ぎます。本日も読んでくださってありがとう御座いました。
良い夢と場所を。これからも身近な方に夢と場所の話をしたいです。世界観と土地観がこれからの私の両翼にしたいです。宜しくお願い申し上げます。m(__)m