2021年01月18日

読めるような優しい目

優しい目
優しい目

20年前位でしょうか。もうちょっとかな。某掲示板に書き込んだ記憶がふと蘇りました。ひどく無意味に感じたのでその一回限りでありました。

宗教の場所に三位一体の神を説明する時の当時持っていた私の持論です。

①父なる神が必要な理由は 神への畏怖心がなければ簡単に人が人を殺してしまうから。これが一番大きく私に働いていました。人は自分が死にたくないから殺さないという道理。真理ではないですが一部だと今でも思っています。

②子なる神(キリスト)がいなければ人は神の愛が何であるか解る事が無いから。キリストの生涯とは正に自分の歩みは一歩も歩まない愛に満ちた歩みでありました。

そして最後に
③聖霊なる神がいなければ、神もキリストも聖書の言葉の真意も人が悟り解る事は無い。(ここが難しいのですね)全部自分で解ったり悟ったりしていると思うからその副産物でしんどくなる場合が多いのです。人がそうであっても、自分がそうであっても。

この様な三つで人に必要な要素が満載の神様の在り方なのですと信じている次第です。しかしながらこれらの神様の働きの一部始終を私が全て知る事などありえないですし、いい意味でですよ。いい意味で。私には関係がないのです。私が立ち入る事じゃないのです。ここに立ち入ると出て行けと私が怒られるのですね。いやぁ。ねw。当然出て行った私にもやる事はございます。(なんかねちっこいですけど)

そうしますと、あなたの問題はあなただけの問題ではなくて、あなたの問題はわたしの問題の一部ですから、私の問題だけには出来ないので神様に委ねています。という感じなのです。決して見放してこう!!とか、こや!!とかではないのです。

分離は結論的に私には向かないのでありましたが分別は付けないとまた、それはそれで宜しくないのです。ここで大切な皆対等という感性が前提で思考を進めますので分離!!とかではなんか感情が先立ってて分離する方が(えらそう)といいますか、分離される方が(出来ない感)そういう感じなんです。感覚的な感じ。そういう事で私には無理なんだろうと思います。

無理でどこかが欠けていてもそれはそれでまた考えを進めれます。

魂と心と肉体も同じようにどれかが欠けると宜しくなくて、信仰と希望と愛もどれかが欠けると宜しく働けないと思っています。過去と現在と未来なんか誰でもどこかしら欠けてて。。。

でも

どこかしら欠けている器でも描かれていて
全部の文面が繋がって無い本でも厚みが在って
穴が一杯空いている地図でも無限に拡げる事適います

そういうの
読めるような優しい目になれたらいいな。
今日も寄って下さってありがとう御座います。
(@^^)/~~~ありがと。