2020年11月05日

お疲れ様でした。ありがとう御座いました。

納税は国民の義務
そうですね。それが律ならそうなのでしょう。
ですが、どうでしょうか
人間は感情を持っていますので、
あらゆる律がそのままで受け入れられる訳ではありません。
ですから、たった一言でもいいのです
義務であったとしても、皆さんの納税。もちろん私の納税でこの国は富んで行きます。
(ありがとう)
義務より感謝が前に出ない空気がずっと続くから
この国の国愛が高まる事が無いと思うのです。
私だけかもしれません。
どうして懸命に働いて(それなりに傷も負って)納めた物が、
ただの義務として処理されるのかが解らないのです。

なぜ?
立った一言でも(ありがとう)が前に出ないのかが解らないのです。

しかし上手く出来ているもので
そのはけ口は娯楽やエンターテイメントの発展に向かっていますよね。
むしろそっちに向かってくれるのが良いのでしょうか。

といいましても
やられたらやり返す倍返しだ!!この言葉が何故盛り上がったのかが解らないのです
やりかえすとしても、やられた分だけでいいじゃないですか。
何故?倍数集めるの?

冷静に考えてみたらそう感じます。やっぱり耳障りのいい言葉は危険性も孕んでいてこの言葉も何故か、割とすんなり受け入れられています。僕が感じる悪魔性や空中の権威の出処はこういった見えやすい所にも感じてます。もちろんそうでない所も感じています。

そうしますと
洗脳でもなんであっても国愛が強くなればなるほど
(いやこれは近隣の国を見てもそうですが)
娯楽の必要性が薄れているように感じます、これも不自由そうではあります。
ですからこのままでいいのかな?なんだか早いからしばらく砥いでおこう。

そんな風に馳せてましたけど
有名・無名問わずして、納税額・云々問わずして
せめて、どなた様かが亡くなったと知った時位は、
お疲れ様でした。ありがとう御座いました。

祈りの中で想っていたいと感じておりました。
m(__)m

私の世界化計画