2020年10月23日

双璧

壁にも二種類あって
超えて見ろといわんばかりの障壁と
覆わんばかりの防護壁や坊波壁

宣教師や伝道師の方を僕が好きなのは
この双璧を何時も携えているからでもあります。
超えたいと護りたいが何時も同居してる様に伺えてます。

この一壁には銃弾の後やヒビはあるものの
好かれる事は稀で
嫌われ続けるこの場所に
立ち続ける事を止めないのはどうしてでしょうか
嫌われ続ける勇気は誰がくれるのでしょうか

美学でしょうか。信念でしょうか。

違います

僕が解る事は唯一つ。
彼。彼女らには神の御霊が共にしているからです。
私念だけではないからです

とはいいましても

相変わらず宗教は何か悪い物の象徴の様に扱われて
揶揄の相対の様に幼くされておりますけど
その様に扱う方に反感ではなくて祈られる姿は人間だけの内在であるとは到底視えません。

私にははるか昔にそう映りました。

ですから私にありましても神様の栄光に祈りを馳せつつ貴方方が守られる壁を超えてみたいのであります。

具体的には感情より先に祈りを優先するという事でありますが、選択肢が増えたからといってもそれは容易い事ではありません。だから今の私にとって神の御霊と共に意識しなければ絶対に超えられない壁なのです。自分だけで超えれないのです。もし自分だけで超えれたと自負するならばそれは降らずに見下しているだけですから、超えたとは言えません。

あ~・・。でも超えたいです。超えて行きたいです。

今日は雨ですね。

雨曜日
雨曜日

彼・彼女らの為にも祈りたいですし、私も共におらせてください。

そうそう、放蕩息子の喩えですけど
これはあと一つのパズルのピースで捉えるといい感じでございますね。😊
物理的な目に置き換えましても
気になって、気になって仕方なくなってしまいますから。
それからやっと埋まる喜びもです。

ですので
そこに在るのなら変形を伴うピースの様に
合う合わないは
ホントに取るに足りないことだなぁって感じています。

求めれば何時も、求めて無くても何時も
私に解り易く表現して頂く神様に何時も感謝しております。

そんで、めっちゃ喜んでます。\(^o^)/