2020年10月20日

私の世界化計画

(あなた方に聴いて頂きたい事は一つ、私に敬意を払う必要は無いが、ただ膨大な時間と命を削って成されて来たこの法学という学問に対しての敬意は払って頂きたい。脱帽を持ってこれに向き合って頂きたい。)

※これを聞いた学生達は学問は唯の自己成長ツールでは無い事に気付き、全員ではないにしろ脱帽を持って背筋を伸ばしたそうです。

私は、この大学教授の言葉が好きで、好きで、好きすぎて折りに触れては浮かんで来て私を諫めていてくれています。

ココからお伝えしたい事は一つ。私の世界化計画
これでは何の事かご理解頂けないと思いますので順を追ってしたためて参ります。

尊重の前段階として尊敬が必要不可欠であります。愛の内に生きようとする人にはその事象、またはその人物に対して、尊敬に至らぬまでも敬意が必要ということであります。尊敬の前段階に在りましても敬意が必要という事でありますね。敬おうとする明確な意志の働きが魂によって生成されます。これは絶対にそうで明確な意志は世になぞらう事が殆どありませんから私に在りましては心の領域の働きではありません。キリストも人の目のチリよりも先に見るべきは自分の目の中の梁だとおっしゃいました。チリを視るは心の弱さ梁を視るは魂の強さでもあります。本当にその通りでありますが、人の目のチリが好きな人を揶揄する物ではありません。

(敬意)

では、どの様にして敬意を抱く事が出来るか考えますと、私の中では価値化しないで世界化していく事ではないかと思っています。これは漠然ではなくてもう明確にそう在ろうとしておる所でございます。価値化は内に働くそれこそ自分にとっての心地善さへの探求でありますが、世界化は外面へと向かう広がりの心地善さへの探求でもあります。

どちらも同じく心地はよいのではありますが、価値化は自分の存在を認めて頂く認証が必要で、敬意を持って欲しいとの願望が強く操作不能の他力により働きますが、世界化は自分はパズルの一つのピースで各々はそのピースであるから統合して描ける物に心地よさを求めていくといった表現が似合います。また何れ完成するという希望が絶え間なく働いております。

(信仰者を例にあげますと)

私をお使い下さいと謳ったマザーテレサもおそらくそうで、価値化基準の聖人などには成りたくなかったはずなのです。これは同じキリスト者として同じ信仰上の働きを考えると全くそうなのですね。キリスト者とは神が描くピースの一つで神の描く物を我々も共に視れるという喜びを持っているから現在の我々は何処のピースの役割でもどの様な形でも善いと振舞えているのです。今の世の在り方だけを信じている訳では無いのです。ですからマザーテレサを高めたり卑下する事には何の意味もないのですね。意味のない事に感情を働かせる事は無いのです。

ただ、
今までの私はこの様に捉え切れていたかどうかといいますと、恥ずかしながらそうではありません。
シルクハットにスーツを着てますが下半身は下着もしくは露出のはしたなさ。その様な姿で敬意を払おうとしていいた節があちらこちらに御座います。ですから学問は嫌いますし哲学や心理学も嫌っておりましたが、冒頭の大学教授の仰る言葉通りに(膨大な時間と命を削って成されて来た)これに敬意を持つ事は明日が来ると信じる事よりはるかに私には容易であります。

やはり視方や届け方、表現の仕方によって人は恵まれます。
感謝致します

では、これより後は、シルクハットはもう脱ぎましょう。スーツも脱ぎましょう。
大げさにもそっと手を置きましょう。
清潔なカッターシャツとデニムそれと裸足でありましても福音を履くだけで善く。

事象・事物の全てに先ずは敬意を持って私の世界化を成していきたいと思っていました。
いや、そうします。

(@^^)/~~~それでは。今日も来てくれてありがとうございました。😊