死後の世界
みなさんごきげんよう。
爽やかな日曜日ですね。
今日僕は、死後の世界の動画を観てました。
こんな動画です。
面白いですね。死後の世界は在ると僕も信じています。
僕は行こうと。とにかく行こうと感じてます。
行くにあたっては、原罪が凄く邪魔でね。だから心と距離を置こうと思ってます。
原罪と本能は少し違ってまして
過剰防衛本能。自己防衛本能の差。簡単に表すとこの様な違いがあります。
コバルトのブルーを感じれた時もそうだったんですけど、もう何というか、原罪ある心から出たい一心でしたから。
また、
言葉は薬です。食べ物です。言霊だってある。
だけどそれを用いてどこに行くのか?行った先で何をするのか?
やっぱりね。言葉は導であり道であるけど。場所では無いと感じてましてね。
僕は愛の溢れる場所にどうしても行きたいのです。出所の事ですね。
時に
何を頼らなくても、何に依存しなくても、行ける。
この様な感性の方も居られます。
そうですね。それでもいいと受け入れています。
愛であるかどうかは別として、引き寄せとかもそうですね。
ただ、人間が犯して来た過ちを誰かが贖罪しない限り、その感性も生まれないし与えられない。これが僕の世界の捉え方です。
そうでなければ唯の無法であり利己の延長線上だからです。
過去・現在・未来。人類であっても一個人であっても犯すであろう過ち
人間では負いきれない過ち、人間では無い誰かが時間軸を超えて清算しない限り誰も前には進めない。
この様な捉え方を僕はしております。
また、
自分さえ行ければいいかもしれないけど、みんな行けなくてはそれは愛の場所じゃない。
幸せを感じる時は、独りじゃないんですね。
こんなことを・・あなたが・・こんなことを・・私を痛めた貴方が・・・
この場に居る時の形容のしがたい幸福感は比べる必要もない程の恵と成り得ています。
受けて、贈り手、お互いにです。差なんて感じない。
この感じは楽しみを貫く喜びを呼び起こし、引き起こしてくれるからです。
ましてや、少なからず、道半ばである貴方の言葉にも依存・崇拝を何度も繰り返させて紡いではいけない。
全くの同意で、その様にも感じておりますし、もちろん私にも同じことが言えますから
ここはブレる事はないでしょう。
見え難く、捉え難い所にこそ愛も真理も宿っていると思います。
纏めます。
僕は心とは距離を置き。魂の解放を目指します。
それから、心がする事にはもう、戸板を立てたり、指さす事は避けると思います。
赦せない事象はありますか。僕にもあります。
でも、それよりも もっと ずっと!!
どうしても、僕には救えなくても、助けたい人が居る。
どうしてもなんです。
だから、今を頂いている自分が先ず先に行けるように。
その様に頂いた恵と共に、営もうと思っています。( ´艸`)
これを滲ませれば、黒にはならないし捕まらないと思ってます。
(@^^)/~~~ではまた、明日から。
駄文にお付き合い頂きありがとう御座いました。
m(__)m