2020年10月05日

価値観とは名ばかりで

ソーラー湯沸かし器をとっちゃう
ソーラー湯沸かし器をとっちゃうよ

本日も我々は吹田市で屋根修理です。今日はソーラー撤去から始まりました。僕らの始まりは何時も雨です。有名な曲名ですね😊。始まりは何時も雨なんですけど終わりはいつも晴れています。

そうなるとまた灯もともります。

信仰の灯は一本より二本の方が良く燃えるじゃないですか。
この言葉は塩狩り峠という映画で教えて頂きました。
灯火は既に誰がつけた、だれが起こしたを問わない訳です。

人によって未来永劫揃う事はあり得ないので。
大きさも灯せる範囲もどうでも良くないですか?

すなわち共に大きく灯ろうとする信仰者の神様への姿勢でもあります。
またこの場所を広く捉えてみますと
消えぬ灯火とはいえ、この場所に招かれて座るという事は
自分が無神論であったころの事を想えば勇気のいる事であります
消えた瞬間にある灯火を見上げる首の力が残っていない訳ですし。
それは消されたかもしれないからです。
それならばまだ、寒い場所でいい
確かにそんな風に感じる事もありましたし、感じる方も大多数。

とうとう哭きつらむだけの、我が身の上を迎えに来られた事を想えば
この灯の周りに来られよとは、すこし酷ではあります。
いや、すこしどころではありません。
正論でも対論でも
だれにでも握り締めて離せない物があって
それには命と繋がっている線が隠されているからです。
ですから
簡単に人は変わらないし、変えられないので御座います。

あ~握りしめた物よりなんと命の尊き事でしょう。
価値観とは名ばかりで
それは命そのものではありませんか。

そうであってもそれでは生き続けられないと感じた時
次に神様が備えられたのは
新しい命の事ではありませんか
人間が創った物や
私であってはならない理由が明らかにここに在るのです。
神様が備えられた新しい命でなければ救われない。
何故ならまた、握り締めた線が今度は命に絡み付くからです。

さて、
もう充分に暖をとれたのなら
迎えに行かなくてはならないかもしれません。
そこでまた
灯火は誰がつけた、だれが起こしたを問わない場所が出来る訳ですから。

あ~、神の恩恵と知恵は測りしれない。旅路の宝庫です。
私も、教えるは戦う術には善しとしても
伝える者としての灯火を運びたいと思います。
教えるとは少し違い
伝えるは刃の向きが人に向かないからですね。
元々善き物まで切らなくて良いからです😊。

価値観とは名ばかりでそれは命じゃないですか命を愛そうで
価値観とは名ばかりでそれは命じゃないですか命を愛そうではありませんか