2020年09月20日

後ろ風

皆様こんにちは~。😊
夕べは楽しくて、楽しくて、ついついしゃべり過ぎました。
あ~なんでこんなに楽しいのだろうな。
信じる対象が違うけど、信じる事は同じ
たぶん異種であっても着ている服装の話じゃなくて据えた未来と
後ろ風。
あ~後ろ風って過去からの風の事ですね。
これが吹いてるのが楽しいんでしょうなぁ。。。
髪の毛が揺れるのです。零したものもすぐ乾くし。
なにをしている訳でもないのに。

後ろ風といえば
僕もお相手してくれた方も折れて、折れて、折れて、
もげそうになるほど何度も心折れてきた。
それは我々だけに限らずですし、
折れた事など無い人はそれはそれで素晴らしいのですよ。
そんな方は重き船体を進める帆にもなれますでしょう😊。


それでも折れて、折れて
ずっと折れ目だけ見てたら
前にも書いた事あったかな。
紙飛行機になれるよって
過去からの後ろ風に乗れるよって
そんな事思いつく訳です。

だから
秀吉がシンガリを勤めた時も
自分が極貧と戦乱の中に生まれたから
きっとその折れ目を見て焼き付いたはず
なので
信長への忠義はあったとしても おそらく
自分の命で
太平の世を持って来たかったのだろうなと・・・。


それ故、出来ればやりたくない
死が決まったシンガリ
先で待ってるという言葉も
後は頼んだという言葉も
秀吉にはあまり関係無かったのかもしれないなぁと
考えてました。
勝手な想像ですけど
きっとここにも後ろ風がふいてたのだろうなって。
思っていました。

そして昨日の最後の恵みは
(私に付いて来たいと思う者は自分の十字架を負ってついてきなさい)
この言葉の真意がはっきりと降り
教えて頂いた日でもありました。

誤解を避けて書き足しますと
私という人称をとっていますが
私とは愛の事です。
何故なら神は愛で、
愛が人の形をとって来られたということだからです。
でなければあの様な十字架は
正義でも真理でも何であれ誰であれ耐えれません。
人や人が創った物は愛を帯びてはいても
愛ではありませんから負うべき物を負ってきてね。
私=愛 が必ず助けるからと。

(補足しますと、人が愛だと思うから余計な期待や失望を繰り返す事になるのだと思います。これは人を揶揄しているのじゃなくて人は愛ではないと捉えて視れたらお互いに許し易いのです。はじめから許し合って歩めるという可能性を見出せるという事であります。神様は愛し合う事が最も尊い礼拝だと伝えてくれていますからそこに向かいたい。)

そうして人は負って来たものを降ろす事で愛を感じる事が出来ます。
感じる事が出来なければ知る事も出来ません。
ここに昨日結び付けていただいたという事でした。
感じる
シンガリも・・・。かな。かなりきついです。
あ、でもここは。。あ、やっぱきつきつ😊。

こんな文章。
タイトルを考えようとしました
なにがいいかなぁ。う~ん。

さて、今日も
はちゃめちゃ文章にお付き合い下さいまして
ありがとうございます。m(__)m

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