2020年09月10日

価値観と世界観を分けて合わせて

価値観と世界観を分けて合わせてというお題で書きたいと思います。
心と魂を分けて合わせてという事でも同じ意味合いになります。
僕はその様にしています。といいますかしようとしています。
随分長い間。頑張ってきました。
なんでかといいますとね。
一個だけだともうね。なんだかもぉぉう~。
イケズぅ~って言えなくなるからです。(笑)

さて、この事の御説明の前に聖書の言葉が手伝って下さいます。
言葉は責任を伴っていますが、聖書の言葉は責任だけじゃなく

人の命を負って来たという事実
人によってはその様な扱いである事を知って頂きたいとも思います。
ですから絶対に改ざんしちゃだめだよということなんですね。
キリストが何者であるかも勝手に改ざんしないでね。お願いね💛
という事で御座います。m(__)m

さて、

あなたがたは、恵みのゆえに、
信仰によって救われたのです。
それは、自分自身から
出たことではなく、
神からの賜物です。 エペソ2:8

こちらの御言葉の通り、世界観を持って視るという事は
価値観から出ないで、信仰によって出たのです。
価値観は自分の物でも、
信仰は自分の物ではないから誇れませんし
自分自身から出ていないので、(あなたがたは)と在る様に
誰でも、今すぐにでも、老若男女問わず
視れるという事ですから

今日のニュースの様に
いいですかっ!。私は何十年信仰生活をしてどうたらこうたらで
大司教だから大勢の方々から敬われてんですぅ。
だからうんたらかんたらで、コロナは罪人への天罰です!!
↑(この時点でキリスト教ですら無い)
あーだこーだと垂れますが、みたらし団子的にこうなるのですよ!!
という、ことではありません。
団じてそうじゃない。そんな訳ない!!頼む!!😊
まじで頼むよ司教が執りなされてる場合じゃないでしょ。
もしくはわざとキリスト教を語る悪魔側の方なのかなとさえ思いました。
あまりにも幼稚であからさま過ぎる。

あ、じゃなかった。ちょっと余談
そうじゃなくて

今直ぐにでも、だれでも、救いの賜物は何の値打ちも付ける事無く
賜れるという事を僕は信じているという事ですね。
明日に散ってしまう方にも神の賜物は贈られる。そんな希望が私を明るくしてくれます。
ですから誰が贈ったとかは、どうでもいいのです。
僕の場合はです。(^_-)

もうすこしまた、これを具体的に視える形にしてみますと

たとえば、崖の上に佇んで広い海の反射に目を細めて
聴く。
聴こうとするときには空の状態で、その時海は聴かそうとしたりはしない
聴くと聴かすはその時混ぜ合わさって、元の音色が在る様に変わっていく。
これが恵みの一つである世界感で

しかし海の下では生きる為の猛烈な駆け引き、だまし討ち、装飾
やはり、弱い物。諦めた物。は淘汰されて行き、藻屑と沈んで行く
これらが多様な価値観を生み出してきたし、生き残れる価値観は時代で変わるから
その過渡期において価値観で価値観を救えないのは居場所が同じだからで
特に崖の上からの海だけでないとしたとき
とても残酷でその摂理を変えたくもなるが変わらない

何故幾時代になっても変わらないのかに馳せてみると
2つ在る事に気付いて欲しいからなのだと思うのです。
それ以外にこの残酷な意図を私には見出すことができないのです。
ほんとに強くそうおもってます。

価値観は自分を視てる。価値観は貴方を視てる。
世界観は同じものを共に視て所有していないし
所有しようともおもっていない。

なにも持っていない。所有していない・・。
それでも寂しくはないのですよ。😊

まずもって神様への借金も所有していない。

世界観は一人でも共にしてくれる大勢が実は居て。
それはキリスト者を守る万軍の天使と神の御霊の事です。
天の万軍が共に在るのなら恐れる事は無いとキリスト者の方はそう信じています。
自分も自分を恐れていません。
何故ならキリストが自分の罪を負って
人では無く、神の御前に在るとても自分では払えない借金を0にして下さったからです。

ただより高い物は無い!とは価値観の言葉で
ただより高い物は無い!とは世界観の言葉であります。😊

(@^^)/~~~それじゃ。今日もありがとう。お休みなさいませ。