2020年07月07日

同等以上の傷

実は松竹梅の竹の部分は面白くて

この社会で一番多い
真ん中の立場であるのですけど

節は固くてそれを何度も繰り返して直ぐに伸びています。
節とは試練にも似て其処は堪え所でもありますね。
各々に応じて

節が支えとなり高く伸びてくれますが
時に見下したり、嘲笑ったり、指差したりもしてしまうでしょう。
そんな時は誰にだってあります。
それでも、
それだけでは無くて、それ一点だけで自他を視切る必要もなくて

ケンシロウもずっとしんどそうな様に
視切るとしんどい
(*-ω-)・・・。

( ゚д゚)ハッ!
そんでね
直ぐに伸びた恩恵はもう一つあり
見渡したり、驚きの笑顔で、指し示す事だって選べます。
ほら!!あっこ!いこっ!行かへん?
こういうのだって選べます😊。
各々の場所に応じまして

(*・ω・)/私の好きなキリストのおはなしで
目の見えない方は何故見えないのか?という質問があります。

何故、この人は目が見えないのでしょうか
先祖の罪でしょうか?、この人の罪でしょうか?

この質問を受けキリストはこう答えます。
どちらでも無くてこの人に神の栄光が現れる為です。

ほんまに好きすぎるwww
誰も損しない。
裁かないし。
裁かれないし。
期待しかありません。

ここでもし、それ以外の答えを渡したらどうなってたんだろうと考えます。

信仰者はその信仰故に自分の眼が曇りがちになったり視えなくなってしまう時だってあります。余りに私念が強くなりすぎますとね。そうなる事を私は理解出来ます。また、信仰とは私念だけでは無くなっていく事も。同じ場所に居ても目的がまるで違う事もね。上のお話では、たぶんだけど質問者の方は目の見えない方を救いでは無くて罪に定めたかったんだと思う。もう答えが出てからの質問かもしれませんね😊。

神様の栄光・・・
そう考えてましたら
例えば
そうだ。

神様は病院で働いている名医だとしたら
信仰者は病院で働く人々とも考えられます

お互いに共に働いているのは大前提です。
めちゃくちゃ誤解されがちですけど
いや、もう既にすり替えられ捲ってますけど

神様は踏ん反り返って視てるだけじゃなくて
見えないだけであってめちゃ働いておられます。
私の内にも、誰の内にも

そんで

神の栄光が働くのが手術室であるとしたら
私は其処に立ち入ってはいけないし、視てはいけないのです。

其処は人と神様との繋がりと慰めと励ましの場でもありますから
キリストが受けた傷が人の傷を癒して行く場でもあります。

拭いされぬ傷、忘れえぬ傷であればあるほど、
それと同等以上の傷でしか癒せませんから
各々わきまえなくば
必ず怒られます。

間違ってもここだけは自分の傷を見せちゃダメだし
視ちゃダメだ!
そうじゃないんだ
そうじゃない。
そんな余裕はその人には無いから
自分にも無いwww

(*´Д`)/・・・でもやったことあるし、一通りやったw
使い方は違いますけど、やり切った感がある。
スミマセンwww

でもね。
怒られてもね。
病院から出て行きなさいとは、神様は言わないのです。
すねてもいいんです。
でも出ていっちゃだめだ
それは過剰解釈だよ。

こんな感じで

これが愛の内に留まっていなさいという事にも似てるなぁってね
私はそう感じました。

今日も居てくれてありがとう。
最近ホンマに痛い程そう思う。

それから
私ではなくて神様の栄光が現れます様に。
そう、祈ります😊。