2020年06月19日

この情報を土台として

本日も食事中
長女とやりあいます
やりあうともうしましても

長女の感性と
私の感性との
殴り合いでして

長女は私の感性がいいなと感じた時
何故か
雄たけびと共に食って掛かかって来ます
良くわかりませんが
きっと彼女も感性が好きで大切で
私との勝ち負けにしたいのでしょうね。
いや、そうしたいのならそれでいいのです。
うん。。。😊

そんな今日は
人目に映る自分の光を視るより
人目を映す光であるなら

視ている方向性は自分じゃないよね
光とはそうだよね・・と
投げかけましたら

まぁ・・。気に入ってくれて
食って掛かって来てくれました。
ほんとに。もう。
それでいいと思います。

でも、こういうのも
実は二次情報なわけでして
いわば、頂き物を再包装した訳でして

この発想の語源は
実は聖書です。
聖書に
貴方方は世の光、地の塩ですと
書かれている箇所を引用しただけでありますから
さりとて、我を誇る事はありません。

そうでありましても、誇ってはならない
これを強要するのが今回の記事の趣旨ではなくて

これだけ情報が溢れた現代です。
誰が言ったか。一次情報は誰かどうか
その様な吟味もそこそこにして

その情報自体を土台として
どうやって思い思いに生きていくか
情報や言葉の下で生きないようにしていこう
土台とは
礎とはそういう事ですから
神様も私が礎となりますからと愛して下さったので
礎が土台が頭上に在るとしんどいよという事であります。

この様な選択肢もあるよね。
今日はそう感じたのでしたためました。

長女は満面の笑みで
私にとっての2次情報を持って来ます。
喜々として、
これを親父にぶつけてやろうとしてる時もあります。

そんな時
私は長女の持ってきた情報も手に取りますが
長女の喜々としている雰囲気を膝に抱えているほうが好きなのです
彼女からそう感じさせて頂いておる次第であります。

言葉は確かに大切です
でも
言葉に乗られると重いし窮屈です
また
言葉に乗り殺されてしまってはいけませんからね

それは善き言葉でも
悪しき言葉でも同じであります。

丁度良い場所に人は元々居たはずなのに
一つしか選択肢や位置取りが無いと囁くのは
極振りの誘惑をした最初の元凶は悪魔です。

言葉や情報や教えや教義や律法は尊い物でありますが
人ははるかにそれよりも尊いのです。
人の居場所も尊いのですが
人の場所はそれよりも尊いのですね

言葉を礎にするか冠にするか?
または上着2枚ある物は1枚分けてとするか?

言葉はあくまで使い手の愛に委ねられますが
失敗しても失敗より人より
愛の方が大きいので安心してもいいと思います

この様な言葉の使い手なる神様はそれを告げる為に
その為に人の形となってこの世に言葉と共に来られました。
見上げろとは言わず。人の礎となられたのが神様です。
そうでありますから
信仰者の方は自分より神様と出会って下さいと祈ります。

神様は見上げても居ません。見上げて居るのは悪魔の方です。
かれは空中の支配者でもありますが礎になる事より拝される事が何よりも好きな存在であるからです。もう何千年も前からそう記されています。これもまた2次情報ですが拝される事が何よりも好きな存在を裁くと悪魔の思うつぼという事なんですね。とてもややこしいです。(笑)ですから頭の上には普段から何も置かないほうが良いのかもしれません😊。