2020年06月18日

清涼感のある墓地でした

先日、友のお墓に参らせて頂きました
生前からとても善き場所であると
友から聞いておりましたけど、縁遠くあって欲しい為に
深くは聞いておりませんでした。

ですが
実際に自分が参らせて頂きましたら
その善さが一瞬で伝わってくる場所でありました。
これは初体験!!💦不思議な事は沢山御座います。

本来はおおげさかもしれませんが
参るという言葉は私にとっては適した言葉ではありません
多くの命のやり取りも在りましたし
私は創造主以外は拝さないと決めて生きてきましたから
参るという言葉に抵抗がありましたけど

それでもね。友が居る場所に行きたかったし
これ、この道として歩んできたからこそ
その席を譲る方々の大きさを視る事が出来るのでして
席を譲る方が創る空間の大きさを感じ取れるのでありますから
これも私の中では大きな愛に繋がる道でもありますと
これに続けとエイヤッ!と自分を促す次第でありました

愛、故に譲る。その場所を開ける事
時に苦しくも
そうすると風遠しも幾分変わる時が訪れてくれる気も致します。

友のお墓で感じたものはまさにこの様な感覚でして
とてもすがすがしい気が通っておりました。

場所を詳しく教えて下さった方の仰る通り
蝶も舞っていましたし
本当にここは墓地なのでしょうか?と
疑う程の清涼感に包まれている場所で御座いました。

この場所で眠る?
ではなくてこの場所に居られるということでしょうか
お歴々の方々はきっと沢山、沢山
愛するが故に譲ってこられたのでしょうね。
そうすることにより
譲り合いが織りなした自由を得ておられる
そう感じる事となります。
そんな清涼感のある場所でありました。

手放す事と譲る事とは
似ていますけど
きっとその温度と数が全然違うのでしょうね。
私はそう信じます。

また、ここで今回感じた事は以下の通りで
愛が愛を縛る
愛が主張(張り縄)であってはなりません
そんな事が決して在ってはならないと
この場所で告げられた様な気もしておりました。

そうでありますからいよいよ増して

私の眼には
あなたは高価で貴い

聖書にあるこの言葉の通り
全て合い対した方にこう在りたく。
一日でも忘れる事無くこの言葉と
歩んで行きたいと
墓前を後に致します。

ま~た、ボチボチと。
ゆっくり歩かないと
見える物さえ見えんのですと
友に語られているようで、そんな気がして
墓前を後に致しました

墓地ですけどほんとに
また来たい場所となりました事
感謝する一日でありました😊。