2020年06月08日

いっせんまじえよう

毎日暑くなってきましたね。
冷たい物が有難くなってくる季節の到来であります。

今日も運転しながらインスピレーションに恵まれました。
お題は

いっせんまじえよう

こんなん。。。😊

いっせんの部分は戦ではなくて 線です。
自分もこんな歳になりますと、あまり点々としてなくて
昔の事を懐かしんだりしてしまいます。
無意識に・・・w
したくない時にでも

親父にイカ焼きを買ってもらう時とかね
小さな時の想い出とか出てきます。

親父はこう言います
(何枚食べてもいいんやで)って

これが、最高でした。
もうね。お金からね。
解放されてる自由その物でした

何枚でもって!? ええええ!?
みたいな感じです。解りますかね。
このちょいちょっと、貧しい感覚。。😊

じゃああ5枚でぇ~と頼んだりして
浮きあがったりしてぇ~

えへへ、えへへ としてましたなぁ。。

そういう善き事も在りますし
そうでない宜しく無い事もありますけど
それらを織り込んで線にする
糸とするという意識の齢ですね

糸は一線でありますから
点で視るよりも若干血が通った感じがします。
血が通ったというか血が滲み行くとでもいいますか
動きが解り易いので優しく感じ易いのですね。

これを感じれる人格が結構魅力的なんですね
いや、結構どころではないかもしれない😊
私にとってはですけど

そんな糸同志が
いっせんまじえれたら

何になるか
もうお分かりでしょう

傷をあてがい、涙をぬぐい、汗もぬぐい、寒さもぬぐい
折れた部分すらも吊り支える 布

それだけではなくて
遠くに見えるあの御旗
あの御旗はそれぞれにお持ちでしょう。
それはたなびく布で出来ている事でしょう。

布は何でも包めますし
何でも包んだ物を解いてあげれます

そして肉に在ってはですけど
決して永久には持たず
はかない美しさもあります
私でもあなたでも誰でも

ですので
布にして欲しいのが わたしの糸です。

糸を織りなすのが神様なら
きっとそれは
貴い事に用いられても
御尻にひかれてもよいことになるでしょう

また、より神様を意識しますと

だれかの恥を隠す布
だれかの失敗を覆う布
形変わる程の深手を覆い尽くす布

布に在る物が わたしの愛おしさでもございます

神様はキリストに在り、
自我の栄光とせず戦い
栄光をこの場所に帰す事とするのなら

あなたが庇ったから罪に定めないとする御方です
あなたが傷を隠したから新しいとする御方です
何故なら神もまた、栄光を自我に帰さない方であるからです

あなたの愛しか愛しまず
あなたの布しか触れない御方です
神様はどんな大きな傷よりも
どんな大きな罪よりも

どんな小さな愛であったとしても
愛の方が断然に大きいと視れる方であるからです

では私の布とはだれでしょうか
わたしの布とはキリスト・イエスでもあります。
何時でも願わくばいっせんまじえたいとおもってます
布を織る方なのに、態々糸になられた方でもあるからですね。

そして私のこの様なみょうちくりんさえも
絶対に拒まないのです。この御方は。。。
なので私は直ぐに歌い泣きます。www

そのような感じで
いっせんまじえてぇ~~
えへへ。えへへ。と今日は歌っておりました。

次回は
~ガッツにたなびく産毛~
こちらをお届けしたいと思います。

もったいつけないで申し上げますと
ツバメの赤ちゃんが5匹生まれましたのです。玄関の上で。。
それじゃ。
また~(@^^)/