2020年04月20日

美しい愛し方

今日ベランダに居ましたら燕がこの町に帰ってきました。
一つだけ巣があるのですけど共に暮らす動物達を警戒してか燕達は巣を作ってはくれません。他にも理由があるかもしれません😊

とにかく、鶯やハト加えて燕、それから認識不可能な鳥の鳴き声がこだましてまして
とても居心地がいいベランダであります。

また、自然を視る時も以前にも増して、これも、あれも神様が創ったのか。。と感じ視るととても満たされて行きます。TVで北寄貝を美味しそうに食べる方を見ても北寄貝がある事に嬉しさを感じる次第でもあります。

さて、
それはそうと、内面的には過去の清算も少し進み、やり遂げれなかった事もありますが
やり遂げれば御国に入れるという誤解に自分が捕まっていた事にも気付き恵まれる本日でありました。

具体的には
人が人に従う事と
人が神の神性に憩い従う事とは
全くの別物だという事が自然を通して、食材が在る事を通して私が解り易い様にと手に落としてくださいました。

従う。これがとても難しいので従わなくてもいい物に内面が寄るのも理解出来る所ではあります。しかしながらこれはアダムとエバが悪魔に従ったという事を裏付けている事象でもありますから、結局は従わないという事に従っているのだと分けて理解する次第でもあります。憩いに従う事と負罪を混ぜた従属を巧みにすり替えられてしまいました。悪魔は神に従わなくていいと囁き、自分に従わせたからです。これを何度も見据えた時に私の霊的な戦いがあります。

また、私は罪故に受けた傷を想う時間が長く意識・無意識問わずして与えてしまった傷を想う時間が短いという私の内面も私の義を打ち砕くには充分過ぎる理由でもあります。

そんな私にでも神様は鳥の声を贈ってくださいますし、食材が在るという喜びも贈ってくださいます。😊

さらに尚。私が裁かれるのを嫌い、私自身が感じれる以上に憂い、何よりも誰よりも心を傷まれて十字架に付いて下さったキリストの愛が何時も私の傍に居てくれております。キリストは悪魔の行く先の地獄の苦しみをも知っておられますから、私では絶対に耐え切れない事も知っておられ何としてでも私を其処へは送りたくないという意志が私を掴み切ってくださいます。

神様は私が成し遂げたからとか、正しいからで愛している訳ではありません
神の本性こそが愛だから人は愛されるのです。

私にあってとても大切な桜は散ってしまいましたがこの様に書く事で私の内面は癒されていきます。

今の思い煩いは先に成らなければ解りません。
憐みは対等な人格と人格との交わりを壊す事でもあり、例え苦しくてもそれは私の今すべき事では無いのです。私ではなくて神様が有り余る程に憐れんでくださいます様にと手放しつつも、私が手放してはいけないのはこの希望の場所に留まり続ける事であります。

本日はまた、こんな素敵な言葉を教えて頂きました。

野花は上を向いて咲き人を励まし
目線の花は正面を向いて咲き人を励まし
桜は下を向いて咲き人を励ましています

神様はこんな美しい愛し方をなさるのですね
言葉は神様が贈られた明確な恵みでもあります。😊