2020年04月19日

私の中で息づいております。

昭和ノスタルジーという言葉をよく聞きます。
哀愁の念という思いは誰にでも内面に組み込まれていて時に自分が居心地が良かった過去を思う時が御座います。

私にとってのノスタルジーとは夕暮れで
何の心配も無くて近所の子らと遊び、家に帰ればいくばくかの食と寝所が与えられているという安心感の元、おおいに遊びふけっていたもので御座います。
途中に豆腐屋さんのラッパの音が聴こえたりしておりました。

この想い出は私の物ですけど、
私の父母や祖母はまた違った哀愁を持っておられたので
本当に頻繁に祖母から、また、出会った御老輩から昔の輝きを聴かせて頂く事が御座いました。

おそらく、またその前の年代の方から、祖母や御老輩は私と同じように哀愁や望郷を聞かされていたと予想されますのでなんだか人間はさかのぼりたいのだろうという一つの確信めいた物も見えてきます。未来とは過去に存在していた完全で在った世界への回帰ではないかとすら思います。

そうしますと
ちょうど人間が創造された時計の針が12時で
そこからどんどん離れて下降して6時
そこからまた、上昇して12時を目指す様な
時の流れの本質を視ているような気がします。

人の内面も時計の秒針の様に
日ごとに上り、日ごとに下がる

上昇下降があってこそ人らしく見え
一辺倒だと不思議と違和感と不自然を覚えるのもこのせいではないのかななどと
思いはべらす次第でもあります。
こうすれば貴方もハッピー、ハッピーはとても素晴らしいのですけど、ハッピーでない時も満たしはあると思います。

上がり下がり無く営めるなら人らしく無く
人で無いという事は他の何かの支配下であるという事でもあります。
そうではなくて
時計板を視ているのか、秒針、もしくは針の動きだけなのか
その様な判別も時には必要ではないかと思われます。

しかしながら
時計は進みます。
おそらく人は創造された12時に戻ろうとしていると私は感じます。

今はとても苦しい時でありますが
必ず行き過ぎます。
ただ12時に回帰するその時には更なる生みの苦しみが伴います。

既に私の内面にありましても
選択の自由の愛と選択の自由の中での苦しみが混在しております。

そうであるから
今の試練は次の試練に打ち勝つ為の布石で在る事は
私のみならず全ての方が経験して残してきた雛形でもありますので

神は乗り越えられない試練は与えられない。
この言葉に希望を置き進めて行きたいと思っております。

自力で乗り越えた試練の証は
自力無き方の勇気にはなりません。

人との繋がりで乗り越えた試練の証は
人との繋がりが薄い方の勇気にはなりません。

神様をお慕いして神様に委ねたキリストの証と
全ての人に裏切られても、尚全ての人を愛したキリストが

私の中で息づいております。
キリストに在って12の弟子がそれぞれに散って福音を告げた勇気が息づいています。
全く及びませんが、この眼にはそう映っておる次第でもあります。

時に娘の哀愁は今全力で私は共に遊ぶ事でもあります。
ジャニーズがどうこうと言っておりますので
私はダッキーです!と
あられもなくやっております。
私の根から出た表層の根はそれなりにひょうきんなんです。😊