2020年04月11日

君も愛されたのか

君も愛されたのか
主が十字架に付くほど・・。
ああなんだか心が震える 震える 震える
君も愛されたのか・・。

こちらは賛美歌113番を自分にあてがって変えた歌詞となります。
今朝はずっとこれを口ずさんでおりました。

といいますのも
友が求同心に芽生えました。これは本当に凄い御業でありますから
この讃美歌を口ずさんでいた次第で御座います。
この信仰在る限り隣人を自分と同じ様に尊重出来る恵みでも御座います。

私の働きなど微々たるもので
そんな事より動き出した魂の賛歌
いや、応援歌の様な物でも御座います。

これ程嬉しい事は無く
我が傷など何の意味を成さぬ程の喜びにも繋がってくれております。
傷なめ合う程の小さな傷でもありませんでしたので
傷を埋めて頂く方が水際に居て下さったから喜びは倍加する次第でもあります。

また、娘達もいよいよ同じくここに至り求道の初動など見られ
求めてみてもいいかな。そんなわずかな初動を神様に贈って頂いた事にも
伏せて握り締め跪く次第でも御座います。

友よ、娘よ
海の様に
心広く、どれだけ深い思考を持ってしても乾き、もしくわ淀みます。
そこは誇らしい場所ではありません。

何故ならそれは恵み深き源流
あなたを持って深きに導き
あなたを持って広さに導いた方が居られる場所ではないからです。
これを誇っては進めません。

願わくば
源流の基へと向かって決して泳いで行きませんか
其処へ行くほど道は狭く、なるほど激しさは増しますが

それでも

至るにその清さ、美しさは
海のそれとはまた違った驚きを手にする事も適いますから。
無垢で素直の浅瀬の場所であるからこそそこでさえずる声や木漏れ日を感じる事が適うと私は信じるからです。

ここでこそ

海はそこで作られている事を知る事適います。
ここに至り留まり目指しましょうではありませんか

そうであるからこそ
私の生業の姿に対しての負財や驕り高慢は何時も広さ深さの底に投げうって
誇る事無く置いて行けるのですから。

また、背負った傷など何時でも洗い流せてくれますし
淀み膿むことなどありませんから。