2020年04月05日

創造とは恵み

本日は穏やかな日曜日で御座います。
事務作業やホームページの作業をしながらゆっくりしておりました。

家族4人でのんびりしながら
突然私が切り出します。

色々ありましたが、皆さんに出会えてほんとに良かったとお伝え致しました。
すると娘達が不思議そうにするのでその理由を語りました。

みなさんは私と同じように神様から頂いた意志を持っておられる事
また、私と同じように神様が切に望んだから生まれて来た事
生命体の神秘が皆さんを創られたのではなくて、ちゃんとした意志が皆さんを創られた事がとても嬉しいのですとお伝え致しました。

もしみなさんが愛の意志が働かない。生命体の神秘で勝手に生まれてきた者でしたらどうでしょうか?
私はみなさんの存在を尊ぶ事が出来ますでしょうかと。

人を尊重するには道徳(出来る出来ない)秤(重い軽い)以外の大きな存在が必ず必要になってきます。尊重するという事は尊重してる自分を誇る事ではなくて、また尊重出来ない人を侮る事でもありません。本来は自分の内面の罪から出れる架け橋となって頂けるのですと。

先にも障害を持つ方は人では無いと殺めた方がおられましたがそれは人が自分と同じように愛されて生まれて来たという概念が損なわれていたからだと思います。ともすれば人は勝手に生まれてきたただの動物と同じで殺めても罪悪感の欠片も沸かない狂気に支配されていたからだと思うのです。(動物も祝福の中で生まれていますが人間より低い物として取り扱われる事が多いです。)

この様な事例は極端過ぎますけど、罪の本質は同じですから、人が人を悪く思う時や人が人より優れていると思う時、人と比べて差異を設けている時は必ず愛から離れた思考に捕まっている事は事実です。

その様な時にみなさんはどうですか?人は意志無く勝手に生まれたのではなくて、誰でも神様が望んだ意志であると感じれる時に悪く思われても、悪く思ったとしても、尊重の場所に一人で人の同意無く、すぐに戻ってこれるのではないでしょうかとお伝え致しました。

創造とは恵みであります。私はそう信じています。

それはそうと、昨日の友との語らいの中で
闘病にあっての人からの哀れみや憐憫はありがとうと答えるのもしんどいと仰っておりました。

仰る通りですね。
哀れみや憐憫の心は私も解りますから否定はしません。

ですから真剣に闘って受けた傷はきっと前を向きたいはずです。その傷は神様の栄光が当たりそれを感じ視れる傷なんだとそう信じています。どんな失敗も後悔も取り戻せない傷だったとしても恥ずかしい傷など何一つ無いのですから😊

今日もありがとう御座いました💑