2020年03月20日

最期までガンバロウ

弱さの中に強さがあり
強さの中に弱さがある

今日はそんな恵を神様から頂いておりました。
どちらか一方に傾くとやっぱり私はだめで

車中の休憩時間中に自分の咎を祈っておりました。
自分が何故立たされたのかを思いだしておりました。

自分が弱ければ弱い程、人の痛みを共有出来ますし
自分が強ければ強い程、強めて頂いた方に感謝が出来る

本当に神様がなさる事は素晴らしいと思う次第でもあります。

僕は
人間は死んでしまうから、死ぬ間でのその時間
楽しんで、好きな事をして、幸せに生きようという思想はやっぱり要らないんですね
要る人はそれでいいし、そうすればいいと尊重しています。

では僕の強さは何かといいますと
神の御子が死んでも人を救おうとしている事に他なりません。
どんな代価を払ってでもこれに変わる物を観た事がないからです。
正確に言いますと。感じた事がありません。

いちいちですけど。感性は自由です。

本当の神様ってね。
あなたがしんどい時にこれを信じたからそれが来たとかいいません。
あなたが楽しい時にこれを信じたからこれが来たとはいいません。

お金とか幸せとかではなく、願望でもない。
じゃあ?なんなのか?

はっきりといいますけど

希望です。

希望はこうなると約束されていなければなりません。
また、実際にそうなってます。
治るか治らないか解らないという屋根屋に仕事を頼む人はいません。
必ず治すという約束があるから希望を持って頂ける事と同じです。

屋根屋は置いておきまして

命の代価に対しての希望
これだけは人間が作れないからです。
人間が作った物は人間が死ぬと終わります。
どんな最愛の人でも死ぬとその希望は絶えてしまいます。

ですから、僕は繋がりと希望を同等に考えていません。
繋がりが希望を生むのではなくて、希望が繋がりを生むからです。

この希望
これを届けてくれる神様が居ます。
誰でも、どんな人でも、どんな傷があっても
足が遅くても、早くても、
どんな人種でも受け入れて下さる方が居ます。

僕は前を向いて行きます。
走っている途中は正直に僕の役割では隣人しかどうする事もできません。
また、共に立ち止まる事しか出来ませんし、手を払われる事も死ぬほど受け入れています。

それでも

ゴールした時はどうですか、皆がゴールした時はどうでしょうか
互いに賛美して歓喜と労りを限りなく尽くせ
また、やってくる方々に
みなりなどはボロボロで
もう、どうしようもなくても
何の成果を今ココにたとえ遺せなくても
歯を食いしばってビッコをひいて、やって来る方々に
自分だけでも大変なのに、
歩けなくなった同志を背負う事を止めようとしなかった方々に。。。

真実の声援を 誠のエールを
涙を持って贈れるのではないでしょうか。。。

僕は震えています。この想像は無からは生まれないからですね
有る物からしか生まれないのが想像で頂き物でもあります。

先に御国に行かれた兄弟姉妹のエールを感じます。
またゴールで待つ誰よりも優しかったあの方の笑顔を感じます。
また、自分が行かなければ
真のエールは贈れない
その様にも感じました。

という訳で御座いまして
うん、最期までガンバロウと思うのでした。
\(^o^)/