2020年03月15日

癒しとはなんだろう

そろそろ春めいて参りましたね。何時もありがとうの屋根修理おじさんです。
春は別れと出会いが交差してそれぞれの道がほんのりと染まって見えてくるそんな季節でもありますね。

(*´Д`)ハァハァ・・ピンク・・

今日は日曜日でそれ程急な仕事もなくノホホンと癒されている日でもありました。

そんな折、ふと、癒しとはなんだろか?と改めて振り返る時でもありました。

自分もそうですがどなた様にありましても痛みを感じて伏せ心がちになる時があります。その痛みが深い程、中々癒えないのも事実で御座います。

そんなことを考えてましたら自分や人が受けた傷はおそらくですけど、もう消えないのだと思う訳でして、傷は消えないけど痛みは癒えるというのが本当の所じゃないかなと考えておりました。ですから傷は自我のある人間ならだれでも加害と被害の両面を備えていますので誰も責めなくてもいいとも思います。優しさを維持するのはとても過酷やけど自分の失敗を棚に上げる方が優しさには残酷。時に49:51・・。この2を見捨てない様な過酷さも僕にはありました。

そうしますと、傷を消す事は出来なくても、痛みを和らげる事が出来る。こういうのが癒しなんだと振り返っておる次第でもあります。

傷に直接触れて癒せる賜物を持つ人も居られますし、傷には触れなくて未だ傷んでいない箇所、廻りから徐々に傷の痛みを取り除いて行ける賜物を持つ人も居られますね。または、誘惑に遭い、傷に直接触れて痛みを増させてしまう時もありますし、自分が増してしまう時もあります。このブログにはその様に人を想っている時と自分を想っている時が混在しておりますので御査収下さい。いや、読んでくださる方の時間の無駄になるのでいいです。(笑)

そういえば昔、長女が傷を受けて抱きしめた時、あまりにもその傷が深い為血の涙を零しておられましたから、ただただアタフタしてるだけではありましたが自責や他責は一先ず置いておいて、ウンウンと頷いて、傷から彼女を遠ざけて、少しだけ目線をそらして頂いて、少しだけ笑かして←これめっちゃ大事、まだ彼女が傷んでなかった部分から徐々に自浄出来るようにお手伝いさせて頂いた事がありました。

たった一回だけですけど。これを僕は覚えていまして、やっぱり僕はこっちの特性の方をもう少し練磨した方がいいのかな。なんて思う訳でもあります。何回もないほうがいいに決まってますけど。それでも長女はこのやり方を覚えて居てくれているはず。傷の隣に(^^;)

割とそれまでの僕は傷口に言葉を直接塗る方が得意というか、そういう方向性しか持てなかった程の家庭環境の影響を受けて育てて頂いたからなのだと思っていて、知恵が付く頃には今まで一方的に撃たれていたものを反撃する銃撃戦の様な。。(^^;) 常に何かと戦っていた様な時間の流れ方ですね。こういうのは良し悪し云々よりも癖が付いたら中々変えられません。なのでそれを知っておくという事も今では優しさに至る一つの財産でも御座います。

さて
癒したい、助けたいという切望感。願望はとっくに超えてますのでこれを行う際に廻りの未だ元気な部分から元気に気付いて頂いて、自浄可能な状態までに成って頂くには自分自身がやはり普遍的な愛の場所に居る自覚が一番大切だと思っています。

全体♨
全体を癒す♨マーク♨温熱とても大事。

(*´Д`)ハァハァ・・混浴

全体が明るくなれば自然と癒されるみたいに。最近は歌詞の無いBGMを聴いていましてこれも中々いいですね。🎵

全体の未だ元気な部分から、中心の傷を励ます様な効果を持っていると思います。歌詞付きはもう少し元気になってから食べる食事の様で、BGMは点滴みたいですね。

(@^^)/~~~それでは!!

今日もありがとう御座います。また明日やね。😊

また明日やね
また明日犬💑