2020年03月04日

愛の場所と謙虚

皆様、何時もありがとうございます。
屋根修理おじさんです。👷

本日は雨天でしたので、現場作業はお休みでした。
少し疲れ気味でしたので恵の雨曜日となりましたが、ホームページ作業をせっせと熟してましたので余り疲れがとれていません。(^^;)

さて
今日は愛の場所と謙虚について書いてみようかなと思いました。少しでも自分にとっても誰か様にあっても見えやすくできたらいいなと思いつつ。。。今日も思いつきの範囲は出ませんけど
それでも僕は思い付きはすごく大事にしています。
自分であっても、どなた様の思い付きであってもです。

愛の場所と謙虚の思考に至る原因の言葉が2つあります。
一つは
御国と世は逆で天の国では最も小さい者が最も偉大とされる
もう一つは
あるに甲斐無き我をも召しあまつ世継ぎとなしたまえば誰が漏るべき主の救いに

この二つの言葉を交差させておりました。

僕の内面では、そうですね。。としか言いようが無いのですけど
そりゃ、謙虚の方がいい。断然いい。
そうなんですけど、解っているけど難しいのですね。

今日はこれに挑みます。

僕の内面の愛は場所であって誰でも居ていい場所と定義しています。これが前提とはなるのですが、ここから考察しまして

謙虚というのは見せる証ではなくて共有と考えれます。
この、愛の場所に自分が小さくなれば、なるほどスペースが生まれて
もっと多くの方を迎え入れる場所が増えるという捉え方でありますね。

そうすると、尊大で傲慢な方でも居れる場所が開ける。
その様な捉え方も出来るんじゃないかなと。。

自分が小さくなればなるほどデカクて拾い場所に成って行く。
良きに裁き、悪しきに裁きを避け
自分がやれる事に意識を向かわせる事が出来る。
そんな風に見える形にして感じてます。

もう一度振り返ってみます。。

御国と世は逆で天の国では最も小さい者が最も偉大とされる
あるに甲斐無き我をも召しあまつ世継ぎとなしたまえば誰が漏るべき主の救いに

う~ん。(^^;)
僕にとってはですけど、小さくてデカイが共存している言葉です。偉大というのも評価ではなくて現実・ただの実際という事ですね。だから誰の目にもそう映るという事です。それ以上でも以下でもありません。人より象の方がでかいという事と同じでそこに嫉妬する人はまぁ。。居ないはず。

ですから
愛の場所と謙虚も共生しているのだと思います。
それと、尊大で傲慢も居てもいい場所。
先ずは、居てもいい場所。
愛の場所とは僕にとっては救いであり、僕の物でもないし、誰の物でもない場所なのですから。

そんな場所でこれからもっと感じれるものを感じ取っていきたいとお祈りするのでありました。もちろん、試練、誘惑に合い。練磨されるは覚悟の上で😊

(⋈◍>◡<◍)。✧♡何時も感謝いたしております。今日も読んで下さいましてありがとう。お休みなさい。zzz