2018年06月14日

言葉の後ろ側

みなさまこんにちは
いつもありがとうございます。

今日の記事は言葉の後ろ側について書いてみようと思います。
二種類の言葉の背景を考えてみます。

魂を照らす様な言葉でも
心を染み落とす様な言葉でも

かならずその言葉が出来た背景があると私は思ってます。
魂を照らす様な言葉
先人が残してくれた名言等、そこに到るまでには膨大な人の支えや人との交わりが隠れています。
個人を崇敬してしまう事はしょうがないんですけど、その背景に想いを馳せる事も大切じゃないかな。
この様に思います。

何度も、何度も失敗して来たにもかかわらず、その人を支え続けた人とか。
何万人を助けたとしてもそれは1人の力だけでは無かった事とか。
この様な背景があると思うんですね。
一体そこには何が働いていたんだろう。どんな信頼関係が成り立っていたんだろう。
名言その物も美しいですが、そんな事にも想いを馳せます。

心を染み落とす様な言葉にも
必ずその言葉が出来た背景があって
ずっと認められずに生きて来たとか、何時も上から抑圧されて歩んで来たとか
これも決して1人で出来た言葉ではなくて、その様な背景が隠されています。
突発的に個人を攻撃してしまうのはしょうがないんですけど、その背景に想いを馳せる事も大切かな。
この様に思います。
実はこれを最近めっちゃやってます。

魂を照らす様な言葉に対しましては
その様な複数が織りなした言葉ですから1人で出来なくても別に落ち込まなくていいですし、1人で出来なくても当たり前とちょっと楽観してもいいと思います。目的が同じで集団で織りなすならそれは出来るからです。

心を染み落とす様な言葉
その様な複数が織りなした言葉ですから個人攻撃はできたら避けたいですけど、複数と自分では怒りを加勢してバランスを取ったりしなければならないかもしれません。
ですからその様な時は背景に想いを馳せる事がしんどい程の時は、積極的に逃げてもいいと思います。
何故なら、誰かを愛する時間が確実に減りますし、そもそも気付かない内に集団VS個人の構図が成り立つからです。
それでも万人を愛そうと歩むなら1人では打倒されますので集団を組まざる得なくなります。
集団といってもこれは言葉数や人数の事だけではなくて、愛し、愛され、信じ、活きて来た数という事になります。

この様な背景に想いを馳せますと
あらゆる心から発せられる感情は自分の魂を守る為に備えられていると考えられます。
喜怒哀楽の背景がその様に予め備えられているとしたら
それを誰かから奪う事は人の心を染み落とす事に繋がりますよね。
それこそ、出発点はあなたはあなた。私は私で充分だと思います。

そうではなくて
奪われる事を恐れて尊大になる心なら
これ以上奪われまいと萎縮する心なのでしたら
愛に包まれた魂はちゃんとその様な事物から守ってくれます。
愛は貴方から何も奪いません。
また、誰も貴方から愛を奪う事は出来ないからです。

以上個人的な考察ですけど、活き活きとしてる魂の音色と
心の栄満のみの音色は、善悪ではなく、全てでは御座いませんが、私は透き通る様に感じ取る事が出来ます。
だからといって裁きません。私は心より魂の音色を尊ぶからです。
また、そんな事より今の自分に何が出来るのかを考える方を優先したいからです。

なので、タイトル通り今回のブログも一人では出来ませんでした。
今の自分に何が出来るか考えて書きました。
有難い事で御座います。本当にそう思っています。

もちろん、ポイ捨てもOKで御座います (笑)

今日は、ブラックコーヒーで太田胃酸を飲みました。

ブラックコーヒーで太田胃酸を飲む。この様な踏ん張りは
たぶん、今日だけは大阪1頑張った男として・・。
後世まで語りつがれないでしょう。

( ゚д゚)ハッ!

( ゚д゚ )/ 何もないです。笑

本日もお付き合い頂きましてありがとうございました。
(^^;)