2018年06月02日

残る営み

昨日、年輪の芯から生える緑を公園の切り株から見付けまして
これだ!って喜び捲って、ニヤニヤしてましたら娘達から気持ち悪がられました。

そんなに普段笑って無かったのかな。(^^;)
う~ん。でも笑顔は苦手であるのは間違いありません。

そんで、本日機嫌よく営んでいました所。
やっぱり心に雨降らされるんですよね。

毎度同じ様なタイミングで。
毎度、毎度。毎度おなじみです。
解っているのに対処が遅れるのも。毎度、毎度。笑

早速傘さしてやり過ごそうとします。
屋根屋やってますから解るのですけど
降り出しの雨が一番黒くて汚れてます。
それが、樋とか心の何処かとかを詰まらせて行きます。

そうして、心も家も雨漏りし出します。
それから。腐っていきます。

言い過ぎた!笑
まぁ。大抵は大丈夫。

そうなる前に
雨宿り出来る家があるならそこが一番良いですし
雨宿り出来る家が無いなら傘を差して

どす黒い初動の雨に当たり続けるのを避けなければなりません。

今回私が何時もより対処に遅れを取ってしまったのは、
本当に昨日、浮かれてたからです。笑
それほど、昨日の切り株。
未来の在り様を自分なりに具現化して見れた事がどれほど、嬉しかった事か。。

それはさておきまして

傘の差し方ですが
初動のどす黒い、汚れた雨を降らされたと感じても

降らしている方は誰かの傘に成っている事もある。
いや、正確には良く解んないんですけど。笑

正確には降らしている方は誰かの傘に成った事がある。
これは忘れない様にしたいです。

雨を降らす方を切ろうが、受け入れようが、罵ろうが
私が何処に居ようが
また必ず降ってきます。

雨は偶に降ることを絶対辞めようとしません。
これも人に愛を教えようとしているからだと私は思います。
もしくは、忘れさせない様にする為かもしれません。

降らす方も、傘に成り得るし
傘の方も 雨に成り得る。

その様な訳でして
ここで、正帝サウザーのこの言葉
サウザーでいいのかな?笑

私はその通りだと思います。
愛した所で苦しみも悲しみも増すでしょう。

だから、もう他界していますけど
私を心から愛してくれた方は、

心幼き私への愛、故に、
私を愛そうとしたが故に
どれだけ
私に苦しみ、悲しんだ昼があったでしょう。
どれだけ
もう止めよう、もう逃げようと思った夜があったでしょう。

人に愛されるという事は、当たり前じゃないし
簡単な事じゃない。
今思えば、張り裂けそうになります。

ですから
自分だけはそこから逃げて、愛の一面だけを語る事だけはしたく無いのです。
愛のムチ?それなら己も一緒に打たれます。
そういう訳でして
私には 我慢、忍耐、練達、練られた品性が必要で
愛その物ではない、人である私はこれを繰り返します。
私にはその様な麗しき戦いがあります。

でも、
苦しいだけ、悲しいだけ
これだけでは決して無くて
困難であれば、ある程、

愛故の営みは必ず残ります。
今であっても、死の際であっても
他の事は何一つ残らなくても残ります。
互いの心にね。
(^^;)

本日もお付き合い頂きましてありがとう御座いました。
m(__)m