2018年05月03日

ちょっと不思議な話

今日はちょっと不思議な話をしたいと思います。

私は生まれは吹田市なんですけど育ちは豊中市。
小さな頃は電車に乗って今居る吹田市まで祖母に遭う時は通っていました。

5歳位の時からでしょうか。
今住んでる家の前に道祖神が祭られているんですけど
この道祖神に祖母宅へ向かう前にお祈りして
帰る時にもお祈りして帰宅していました。

当時、何故だか、素通り出来なかったんですね。
小さな御社なんですけど。
成人した後にはこの道祖神の存在を殆ど気にせず過ごす様になります。

実は、道祖神が前にある今住んでいる家に来るまでは割と波乱万丈でして苦難・試練の連続でしたし、子供は9年間授からなかったのです。

ところがこの家に来てから、大きな試練が2つ程在ったものの
引っ越した初年度に9年間授からなかった子供を授かり
徐々にですけど仕事の方も上向きになって来ました。
何より良く眠れる様になったのがとてもとても有難かったです。
今の家の前の家なんかは、もう眠れない夜が多すぎてカオスでしたから。笑

そんな感じでここに来てから試練と恵みが五分五分位になって来ました。
特に子供を授かったのが一番の恵みとなりました。
お互いもう諦めてましたので
私は海馬滋養丸とかメッチャ飲んでたのを止めてましたし、
家内は不妊治療を続けるのをお金の問題もあってもう止めてましたしね。

ふと、この様な経緯を振り返りますと
自己努力や願望だけではどうにもならない事でも、
見えない存在が手を差し伸べてくれている時があるのかも・・
それは神様の導きかもしれません・・。
その様に感じてしまいます。

私の場合は、子供を授かった年はプロテスタントの教会で洗礼を受けた年でもありますし
次女の誕生日が洗礼を受けた日と同じですし
同時に目の前に道祖神が祭られているこの家に偶然引っ越し出来た年でもありますし

どちらの神様の導きなのか?どうなのでしょうか?
それともすべては偶然なのか?偶然ってあるのかな?
これは中々断定する事が出来ないんですけどね。
私の経験上ですけど、
断定しない方が良い場合もあるよ。としか申し上げられません・・。
※理由は長くなるので割愛致します。※笑

何れに致しましても
どちらの神様とも友達になりたいなと、今はそう思ってる次第です。
今でも毎朝、家の前の道祖神にお祈りを捧げる方もおられますし、それはとても美しい事。
人様の信仰や心情を否定するなら、もう己の信仰は死んでしまった物。
この様に強く思うからです。

キリスト者と名乗る方なら互いに尊重して愛し合いなさい。
これ以上の守るべき物はありません。
一生の課題ですけど本当にこれに尽きます。
因みに私は、信仰はありますけど肩書きは要りません。
これも長くなるので割愛致します。
(^^;)

5歳の時に今住む家の前の道祖神に頭を垂れて以来
ずっと、自然と見つめさせられて来たものがある様な気がしています。

そんな訳でして
なんだかとても恵み深い今の家。
そして、近所の御老輩の方がおっしゃるには
この家は昔から女の子しか生まれないんですって。

今の家の家族構成はと申しますと
男1女3です。

いや~不思議。。笑

それでは、また~。何時もありがとうございます。
(^^;)
神様の恵みが何処にでも満ち溢れます様に。