2018年04月05日

無限の志であり無限の愛

生きる軸は自分の中にあってもいいと思う。
でも活きる軸はその外側にあるとも思う。

心と霊性(魂)は同居してるが交わっていない。
ここに希望を見出す。

霊性(魂)の具体的働きとはこの様に

自分が倒れそうな時
自分も倒れそうなのに支えようとしてくれた人

自分が苦しい時
自分も苦しいのに分かちあってくれた人

自分が暗闇の中に居る時
自分も暗闇の中にいるのに一緒に出口を探そうとしてくれた人

ですので自分軸をしっかり持って。。
もうそれは、散々見つめたから
僕にとってはどれも少し窮屈な律法と同じ。
それは守っても守り切れなかった戒律の様に聞こえてしまう。

僕を愛してくれた人は
そんなに沢山いないけど
自分軸を捨て接してくれた人達ばかりだったから。
それは学びの多さじゃなくて
社会的立場云々でも富裕の有無でも無かった方々だった。

特に2年前参観した運動会のリレー
リハーサルで自分達のチームが負ける事は解っていても
本番で最期まで諦めなかった方に多くを学んだ。
それまでの自分が情けなくて涙した
強烈な財産として残っています。

だから、僕も最期まで諦めない。

眼には手を
歯にも手を
手には両手を

これに挑戦し続けている。
あ~これは負ける。。無理だ。
それが解っていても。。。
勝ち負けではなく、姿勢を崩したくは無い。
結果はリレーと同じ様に今で無いかもしれないからです。

それを成す為
自分の中では以下の様に整理している。
万人の感性でない事はもちろん承知している。

結果を恐れて予測と予防するのが自分軸
経験が邪魔して傷を恐れる自分軸
生きたいから。

あらゆる可能性に掛けるのが活きる軸
期待が輝く活きる軸
活きたいから。

生きると活きるはまるで違う
でも選択の自由を阻害してはいけないし
私の眼はそうそう計りはしない。

願わくば、そう願わくば
自分含めて

体も活きて 心も活きて 魂も活きて
欲しい。

それ故
自分の軸は自分軸の外側に置く。
無限がある外側に置こうと思う。
無限は小さな悲しい結果をも飲み込んでくれる。
気付き難いけど、もう随分飲み込んで来てくれた。

無限の軸に自分を同化させる。
これに包んでもらう。
これも無限の志であり無限の愛であると思う。

志も愛も限りは無いと僕は思うよ。

 

※毎日の様に身近な方に笑顔を届ける人は立派です。
お父ちゃん。お母ちゃん。家族の笑顔
接触頻度の高い人を当たり前の様に尊重して愛する事は難しいからです。
それは始点でもあり終点でもありますし
それが何より一番難しいからです。

凄い事やってるんだから
たまには一服してくださいね。

(^^;)