2018年02月26日

視点と視界

本日、今年初めの虫を見ました。春はもうすぐそこまで近づいていますね。
頭も温かくなって参りましたので本日は視点と視界について書いてみようかと思います。

視点と視界
人は意識・無意識問わずして視点と視界この2つの視方で物事を視る事が出来ますよね。

美しい花を視点で捉えますと自分の中にある美しさと共鳴して幸福感が沸き起こりますし、橋の上からや、山の上から風景など視界で捉えますと、雄大な自由の中に引き込まれるようにこれも幸福感で満たされます。
どちらも人に用意されている神様からのプレゼントだと思います。

しかしながら、この2つの視方。
本来は神様からのプレゼントの筈のこの2つの視方が時に不幸を招く時があります。
予め用意されていた花や風景の様に美しいと無意識下で視る前提がある場合、経験則で知っている場合には殆ど問題は発生しませんが、人との交わりの中では無意識下で人は美しいという感性が時として機能しません。

齢を重ねる度に人との交わりに美しさを見出せない方もおられますし
齢を重ねる度に人との交わりに美しさを見出せる方もおられます。
両方見いだせる方も当然おられます。
こちらが大多数かな。

では、何故花や風景と違い対人関係で視方が変わるのか?
ここからが私の考察です。考察ですので勿論全ての方に当てはまる訳ではありません。
そんな考えもあるよねぇ位の軽い感じで読んで頂けますと幸いです。

人との交わりの中では常に会話が存在します。
この会話が曲者で、曲者と言えばなんだか悪い物の様に聞こえますがそういう事では無くて会話の中には視点でしか視れない様に誘導される強い力が働いているという事です。

日常会話や家族との談話、商談等1つの事象を中心として1つの課題を取り上げて会話は進んで行きます。
そこには感動や感嘆が織り交ざり、花を見る様に幸せを感じる事もありますしまた逆に今日はなんだか違うと落胆する事もあるでしょう。

これが視点の限界であると私は感じています。
人の良い所を見出すのと同時に人の悪い所を見出す力も同時に育ってしまっているという事じゃないかなと思っています。
どちらか一方では感動も感嘆も生まれないのでそう感じ取っております。

ここで一枚の写真を使います。

何気ない風景の写真ですがここに描かれているものは生い茂る草木と枯れている草木と水。

これを枯れている草木のみ視点で捉えますと枯れていると思ってしまうかもしれません。
これを生い茂る草木のみ視点で捉えますと生い茂っていると思ってしまうかもしれません。

人には充分な水分を頂いて生い茂っている所もありますし充分な水分を得れず枯れている所もあります。

しかしながらこの風景を見て怒りをおぼえるでしょうか。憤りを感じるでしょうか。視点の捉え方とは違い、視界はこの様な捉え方が出来ます。

また聖書にはこう記されています。
※人は神に似る様に作られた。※

これは、在り方や生き方もさることながら視方もその様に作られていると捉える事が出来ます。
いや、私はそう捉えます。

神様は視点だけで視ずに視界で人の心を視る事が出来るという事です。
これは是非私の歩みの中にあっても取り入れてみたい。
視点で視られて来た、視て来た考察からは真の自由は生まれないと思っています。
視点を改善して描いても視界が機能していないからです。

もし視界で視られて、また視て行く歩みとなるならそこには自由が約束されています。
何故なら、そこには個々人だけが描ける風景が残るからです。
刷新してもいいし、今まで描いて来た風景に手を加えるのもいい。
枯れている様に見えても朽ちてはおらずこの風景には描かれていませんが枯れているの下には決して朽ちる事無い地があり、そこには僅かとはいえ潤いが届いています。
その様に人の心を視界で視る事適うならば何が描かれていても無条件で想い馳せる事ができます。

想い馳せる事適えば、もうそれは自由です。
裁かない。決めつける事もない。もうそれは自由です。


(どこを視ますか)

明けの明星の様に
※神様はこの実を食べてはいけないと本当に言ったのですか?※
この言葉には神様を否定している明けの明星の思惑も入っています。
人の視点を用いて誘惑するこの方に
死ぬまで私は対抗する歩みになると思います。
ですのでこの様に人の心内にあるものを自然の風景の様に置き換えてみました。

また、私は教えや教義も活きる始まりにはとても重要ではありますけど、それが心を包まないで覆い被さるだけならあらゆる手段を用いてでも改めなければならないと思っています。
結果は同じ様な物なんですけど、覆い被さると包まれるは全く違います。
ですから教義を何とかして視界で捉え、見える形として残してみたいとも想っています。

勿論この一文を奇異の視点で視て頂いても全然OKで御座います。
他にも活きる術は沢山ありますでしょうし
それこそ神様の多種多様な恵であると私自身もそれを大いに喜んでいるからです。

※youtubeで上げている動画の一つでセミの鳴きまねの評価が全部低評価で笑っています。
いや、あれはセミの群れの鳴きまねとタイトルしとけばよかった。
まぁ・・いいや(笑)

(^^;)