2018年02月13日

想い通りの人生

以前、思いは心の田と書きました。
思いは何も無い所から開墾して
石を退けたり、水を引いたり
実りを思って切り開いていきます。

そこにある時実りを超えた大木が育ちます。
それが想い。
心の目はこの大木に宿り
今まで開墾してきた思いを見渡す事になります。

誰でも思い通りに行かぬ事が多々あります。
心の田は頑なで、開墾するには本当に骨がおれます。
しかしながら
想いはこの田の脇に育ち
その思いを見渡す事適います。

これは自分を客観的に見る為にも必要だと私は捉えており
思いがもたらす負財もちゃんと慈しむ為に必要であると捉えております。

本当に大事な事ですが、
※自分であれ他の方であれ心の田は良い物ばかりを生むわけではありません。※
※思いの性質に気付いてあげて※

そうして
思いわずらい よりも
想いわらい こちらも選択出来るようになります。
ずっと ずを抜く事が出来ます。
抜くのは当然私の方です。

実際は相当意識して営まないと難しいですけど
それでもそういうのが想いだと信じています。
思いに愛は留まり続けず、想いに愛が留まり続けると信じます。

また、思いは愛に包まれていませんから傷つけられる事もありますし
傷付けてしまう事もあるでしょう。
疲弊もします。耕し続ける事はしんどくて休憩も必要です。

その様な、思い通りに成らない人生や事柄でも
想い通りには出来ます。
想いは、自分であれ他の方であれ、思いがもたらす喜びも憂いも予め知っているからです。
想いは何時も思いの傍らにいて、
思いに想いを馳せる事が出来るからです。

知っているからこそ、想いが思いを裁く事が無く
労う日常であるならば
思いは想いに繋がって行く
これは確信しています。

想いの大木
例え最初は小さくても大きく育つと
そこに良い生き物は多く憩い、そっと優しく教えてくれます。

それらと共に生きて、
たまには自分も誰かの大木におじゃましたり。

私の想い。
生き物が憩える温度に
歯の弱い方でも食せる柔らかい信念に
その様な物に
していけたらいいなぁ~と想っています。

気付いている事はやれます。
(^^)