2018年01月25日

高き山を登る理由

高き山を登る理由は
見下ろす為ではなく
見上げる為でもなく
見渡す為なのだろう
裾野に広がるあらゆる憂い事をこの眼で広く感じ取り
河川の氾濫には
1欠片でも高き山の土を運び
沼地に絡まれそうならば
1欠片でも高き山の土で均し

登ったり、降ったりする為に高き山を登るのだろう
信仰者としての生活で見出した事は
分け登る麓の道は多けれど 同じ高嶺の月を見るかな
これは美しい歌ではありますが
月の美しさを見出す為に
泥臭く動き続ける一人間でありたいとも願うのです。

何時かこの人欠片は何処から来たのかを人それぞれ見出した時
自然と高き山に眼を向けられるでしょうし
同時に月の美しさを見いだす事適いましょう。

私は信仰者でも求道者でも呼び様は何でも良いのですが
山上からの垂訓を望んでいませんし
高嶺の月は麓からでも見えると信じています。
月見は沢山おられたほうが賑やかで良いとも思っています。

この様にして
今日も、明日もずっと
懸命に高き山を登り、あわてて転がる様にまた降る
泥臭い奴である事を大いに喜んでいるので御座います。

(^^)