2017年11月02日

聖別

皆様、何時も覗いて下さりありがとう御座います。
<(_ _)>

だんだんイルミネーションで飾られて行く街並みになってきましたね。作業帰りの信号待ちとかしてますと、無になって眺めてしまいます。綺麗なものを見ると何も考えられなくなります。逆だと途端に脳が活性化いたします。笑

という事で、
本日は下記の引用から聖別について考えてみました。

実体験から
広島の平和集会に
ゲストとして呼ばれた
自衛隊員に
浴びせられた言葉

市民
「自衛隊は
なくすべきだと思いますが、
自衛隊員の○○さんは
どう思いますか?」

市民
「自衛隊があるから
軍事的緊張が発生する、
憲法違反だから
自衛隊は無くすべき
だと思います。
自衛隊の○○さんは
どう思いますか?」

そこで
自衛隊員の返事、

俺はこの言葉を
これからもずっと忘れないと思う

自衛隊員
「そう言う人達も守るのが、自衛隊員です」

 

志が無いととっさにこの様な返答は難しいと思いますので、きっとこの自衛官の方は日々聖別して歩んで来られたのでしょうね。

また、人によっては断続的にでも確実に自分の為だけに生きてない時間があります。
その時間だけは聖別されている時間だと思っています。

理念や志が昇華していく為には聖別されている時間が私にはもっともっと必要なんだと想っておりました。

 

 

聖別ってなんですか?

 

定義はありますけど個人的には内なる光を見続けている時間かな。自分の中の闇で自分を照らしていないという事だと思っております。

雑音・雑念が無い時間の過ごし方なのだと思います。

ただ、誤解して欲しくない事は、聖別って人間性の優劣の事ではありません。出来る人は出来ない人を決して裁きませんし、見下しません。比較対象の誘惑を受けても繰り返し聖別してきた自分が本来の自分へと引き戻す時間が異常に早い人であるという事で御座います。

これには信仰者であるとか、無いとかは関係していないと私は捉えております。そうでないと自分を聖別出来ないからですね。

先の広島の水害で二次災害に遭い殉職された方も職務に付いている時は聖別されていたと私は思っております。自分の命より重い物を持っておられたと想っております。

繰り返しますけど人間性の優劣の事ではありません。もう俺はこれで、これだけで終わるよ。と、ゆっくり微笑んでいる状態の事です。私も14年前の病室のベッドで一度だけですけど聖別された状態になりました。

その後は・・。

ま、まぁ・・これからよ。これから(笑)

 

本日も修理作業が終わり、グリーンだよを買って帰りました。どなた様も聖別した人生を送ろうと送らまいと、い~んだよグり~ンだよ!で御座います。でも、ここで私が頑張れば凶悪犯罪や悲しい医療事故に到る様な負の連鎖の一部は切れると思っています。

各々の場所で輝いて下さい。私もがんばります。
(^^)