2017年10月07日

屋根屋が考える食物連鎖

皆様今日は<(_ _)>

今日は食物連鎖のお話です。

お話といっても

何時もの様に私なりの考察です。

 

 

食物連鎖の長と言えば物理的には人間ですけど、そうとは断定できません。

なぜなら、人間は心の死が肉体の死を連鎖させる事があるからです。

また、毎日の様に何らかのダメージを心に受け続ける方が少なくはありません。

その様な事もあり、SNSやその他が爆発的に普及したのだと思います。

これも自然の摂理ですよね。

 

私が思うに人間の上に立つ本物の食物連鎖の長がいます。

人同士の共喰いを誘発する程の心の闇(虚無)が連鎖の長であると捉えております。

私はこれとずっと対峙しておりますが、

(まぁ、ボロ負けしまくりでしたのでこうしてなんとか可視化を試みています。)

これに同胞を売り渡すのも、共喰いするのもその人の自由でございます。

付け加えまして、これらは善からも悪からも生まれます。

一度自分のフィルターを通すから純度が下がるのが主な原因です。

悪の毒性は下がっても吐かないと自分が死にますし

善の本質も自分のフィルターを通すとその純度は圧倒的に下がります。

 

これらと対峙する時

心の中を地球と同じように球体と捉えて見て

掘り下げて、掘り下げて行くと、表面に出たりする面白さもありますよね。

あれ?同じところの様な。。みたいな感じのあれです。

これは割と心が安定した状態とも言えます。

ですが、動き無く

どの深度でも、留まると捕まる危険性が最も高まります。

捕まるとは

物理的な食物連鎖でいいますと、死を意味します。

何に捕まるのかは個人差はありますけど、私は主に比較対象や裁き司だと思っています。

人によっては依存もあるでしょう。

 

どの様な装いであれ原理主義は一度捕まると必ずその人の心を掴んで放そうとしません。

また、原理主義は共喰いを厭いませんし、共喰いにも罪悪感が沸きません。

善意がそうさせるからです。大義名分に依存するからですね。

人の心を開放するという理念は、使い方によっては人を縛り一様の景色しか見せない様にする事にその目的がすり替えられる可能性も充分備えているからです。

これが善でも悪でも闇が生まれる理由で御座います。

ちょっとキツメな文章ですけど、経験者は語るとして下さいね。

平たく言えば私がそうだったという事です。

 

 

なので、

掘り下げようが、表面を移動してようが

動き続ける事が、食物連鎖に打ち勝つ方法の一つかもしれません。

あらゆるものに

想いを馳せ、想いを馳せ、想いを馳せながら。決して心を石化させない様に動き続ける事が闇に打ち勝つ方法の一つかもしれません。

 

また、海洋生物に例えてみますと

海面の煌きに近いウニになったり

深海の重圧に耐える鮟鱇になったり

高速で泳ぐマグロになったり

ジッとしてる貝になったり

色素だけ放つサンゴになったり

砂に隠れてみたり・・。

 

あらゆる海洋生物にその姿を変える事を厭うてはならないと思っています。

もっと言えば、これらを立体で見てみると

凄くお気楽に今日の自分は何だろか?

今日の自分の廻りの環境はなだろかね?と

立体と自分を溶け合わせて客観視出来た時、本当の美しさと自由を捉える事が出来るかもしれません。

全く頼りにならない善悪が、まだらに混ざって恥ずかしそうにしている美しさです。

 

私はこうも思っています。

原理から生まれる愛は束縛を生み光は内にとどまります。

しかし、自由から生まれる愛は希望に姿を変え自他の頭上を照らします。

 

 

動き続けるという事は

なんだか、サメみたいですけどね。

もしサメなら

美味しい物食べながらの移動がいいですね。

モグモグとニコニコとしながら自然な移動がいいです。

サメは動きながら寝れるらしいです。

マグロだったかな? 笑