2017年06月17日

父の日に思う事

明日は、父の日ですね。

父の日を想って今日も日常ブログを書いてみようと思います。

先の記事で裸の心のままでいようと思った経緯を綴ってみようと思います。誰にでも当てはまる事ではありませんのでご了承下さいね。

 

私の持っていた武具のお話から。

右手は常識の矛、左手は価値観の盾、実績の鎧と、自尊心のインナーシャツ。

何故この様に表現するのかと申しますと、聖書のパクリです。(笑)

聖書では、

真理の兜

正義の胸当て

御言葉の剣

信仰の盾

福音の履物

ローマ兵を型取ってこの様に表現しております。この武具を持って、信仰者は戦いに挑む訳ですが、これは本題と違いますので、割愛致します。

 

もう一度本題へ。

右手は常識の矛、左手は価値観の盾、実績の鎧と、自尊心のインナーシャツ。

これが私の持っていた武具でした。

 

常識の矛は誰でも持っていますが、右手に持つとどうしても突きたくなる衝動に駆られます。常識という免罪符が付与されていますのでなおさらです。

価値観の盾は、常識の矛で付かれた際、自分の矛で応戦出来ない時など、実績の鎧と自尊心のインナーシャツを守る為に使います。あなたの常識ではそうかもしれないけど、私の価値観は違う。などの使われ方です。

だけど、

この矛と盾を他人様ではなくて、自分に向けたらどうなると思いますか。

おそらくは、死ぬまでどちらも譲りません。まさに矛盾が生まれます。

また、矛だけ持っていた場合。本来片手でもっていた矛が肥大化し、比例して免罪符も肥大化します。両手で突けるものは無いかと彷徨い続けます。

また、盾だけ持った場合、これも肥大化に時間を捧げて顔も体も覆ってしまいます。最早誰も突く事は出来ませんが、誰も本体が何なのか見る事も出来ません。

 

この矛と盾が頑なに守っていたものは何か?

鎧である実績と自尊心のインナーシャツです。

あ、ここでもう一回、注釈いれますけど、これは自分の話です。

 

もう窮屈で溜まりません。こんなの死ぬまでやってられない。

なので、全部脱いで今は素肌なのです。

 

さて、素肌の場合は傷が付きやすくなります。

でも、矛で突かれても、盾で押されても、ちゃんと血を流したいのですね。ちょっと解りにくいかもしれないかもしれませんけど、武具で押し返さないで、受け止めたいのです。誰かが助かるなら私の血や涙など安いもんなんです。

 

それに、武具を脱いで素肌でいるという事は、

 

ここからが、めっちゃ楽しみなんです。(笑)

 

背中から羽が生えるかもしれない!もしくは手が羽になるかも!(志)

何時間でも水中で呼吸出来るかもしれない!(慈愛)

手が鉄の様に変わって何時までも地中を掘り下げていけるかもしれない!(情熱)

 

だって人間の脳は7割使って無いって言うじゃないですか。いけるかもしれないじゃないですか。

 

これをやってみてですね。私に預けられた命、私に寄り添ってくれた命

家族の間で浮かばしてみたいのです。 そんな父の日。

写真はイルカ雲のアップで本日を締めくくります。

 

 

 

本日も読んで頂いてありがとう御座いました。

何時もお疲れ様で御座います。m(__)m