2017年06月07日

価値や価値感からの解放

価値や価値観からの解放。
少し大げさなタイトルですが、ツラツラと私なりの想いを綴ってみようかと思います。

今までの私の人生の歩みは、学校教育中も社会に出てからでも
如何にして自分を磨いていくか、以下にして自分の価値を高めていくか?
何時の間にやら染み付いた。いや、よくよく吟味もしないで皆がそうだからそなんだという概念の元、良い物と良く無い物を精査しながらも自分の価値を高めて行こうと努めてまいりました。

自分の価値は、可視出来ませんので例えるならばカタツムリが一番解り易いかなと思います。

日を追う事に、殻の形・大きさ・色・硬さ・柔らかさを形成して行き、個人差は勿論出ますけど自分の価値を磨きより美しく作り上げて行く事こそ人としての成長だと信じていました。殆どの方が自分の持つ価値観で人を視たり、自分を視たりしていますのでこの価値という言葉の裏面にある怖さに気付けなかったかもしれません。

人が持つ価値や価値観は表裏性があります。今から御説明させて頂きます。

(表の価値の顔)
自分の価値(殻)を磨く事は、そのまま幸せに直結する場合も多々御座います。例えば自分の努力や頑張りによって得た価値が誰かの心に灯を灯してやる気を与える事になったり、また逆に誰かの価値によってやる気を頂いたりする場合が御座います。誰かが磨いている価値を美しいと感じた時には、この言葉が持つ本来の役割を果たす事が出来ます。物腰しが穏やかで柔和に会話出来る方にお会いしたりしますと、この方の価値観はどんな物をお持ちなのだろう等、素朴な平安を得る事もできます。

(裏の価値の顔)
ところが、この価値や価値観は裏の顔を同時に持ち合わせています。特に自分が今まで培って来た価値。努力によって形成してきた形・色・大きさ・硬さ、これらは同時に優越感。劣等感。嫉妬。否定。批判を生み出します。人である以上免れる事は出来ません。理性や品性で言葉として発しなかった場合であっても、心から湧き出る悲しさや悔しさを消し去る事が難しい。いや、心から湧き出る感情自体を止める術が無いのです。ですから批判や蔑み嫉妬を発してしまう方は忌み嫌われるのですが、忌み嫌う方も同じ物を有しているから遠ざけようとしてしまうのです。山に籠って他者の負財を得れない環境にいれば心が湧き出す負財を遠ざける事は出来るかもしれませんが、根本的な解決にはならないと思います。社会生活を営まなければならない方が殆どだからです。

思いだしてみますと、私の価値や価値観がまだ小さくて殆ど形成されなかった幼少期は正も負もなく毎日が刷新されていて輝いていた日々を送っておりました。優越感。劣等感。嫉妬。否定。批判が機能していない日常でありました。不幸にも親の価値や価値観が生み出す負財で押しつぶされ、虐待を受けて成長された方もおられたり、放棄された方もおられるとは思いますが、幼少期の価値や価値観が小さかった為に救われていた側面もあるのではないかと思います。少なからずとも考察できるのは同じ環境下に私も居た事があるのですが、詳細は省きます。

皆様は価値観の押し付けは嫌いですか?こうあるべきだ!は好きですか?またあなたは愛されている(条件付き)は心が動きますか?私はこれらは余り好きではありません。何故か?私が今まで培って来た価値や価値観が邪魔するからです。ままに受けんとしながらも、正確にはままに受け流す。これが精一杯です。何故か?私のカタツムリの様な殻が邪魔するからです。

それでもなお、残り少ない人生に於いて自分の価値や価値観を昇華させなければならないのでしょうか。今の私には表裏性のある価値や価値観。振り子の針のように日によってどちらにでも振れるような曖昧な言葉にこれ以上人生を傾ける事はもう止めようと思っております。

有史以来人は人であり人以上でも以下でもない。
人が生み出す価値や価値観さえなければ。人は上下にぶれる事は無い。こう捉えております。

幾多の動植物や自然に約束されているのは自由に生きて自由に終わる事です。人が決める価値や価値観ではありません。ありのままの自由しかありません。人も同じで自由に生きて自由に終われる事が本来約束されていた根源的な物だと思っております。

価値や価値観と自由は天秤に掛ける事は出来ません。何方か一方を捨てなければなりませんから、私は今まで自分が作って来た価値や価値観を捨てて自由を取りたいと思っています。

今年の初めから明けて行く一年にしたい、また、正も負もままにぞ受けんと豪語しながらもままにぞ受け流す事が精一杯だった自分の因果を紐解いてみるとこういった結果になってしまいました。

これからの人生で心から人を裁かず、呪わず、妬まず。また、裁かれても、呪われても、妬まれても、批判されても、嫌われても
自分が作って来た価値や価値観、カタツムリの殻が無ければ何ら負の感情が沸き出でる事なく受け入れる事が出来ると信じています。逆に賞賛を受けた場合であっても、その賞賛は本来皆さんが元々持っていたものが唯、共鳴したのであって、共鳴音・和音にもやはり優劣は無しであると、自分の傲慢を遠ざける事も可能と信じております。賞賛による栄光は皆様と私の頭の上に輝いてこその栄光と信じるからです。これは自尊心からの解放を意味します。

失っていた自由。計り知れない自由。掴み切れない程の自由。少しでも掴み切りたい。
これによって、価値や価値観が生み出す枯渇ではなくて、今も自由を失いつつある方に涙をもってお伝えしたい想いによる枯渇。自由を取り戻す為の愛に満ちた枯渇であって欲しいと切に願う日常を送りたいと思います。

長々と読んで頂いてありがとう御座いました。
m(__)m

本日大阪は雨で現場に出れませんので書いてみました。
雨の日でも傘になったり雨雲になったりしたい。

梅雨ですね。どうぞご自愛なさって下さい。

(^^)