2017年05月19日

止せばいいのに、整理致しました。(笑)

(`・ω・´)ゞ本日もお暑うございましたね。

 

昨日の記事の違和感を、止せばいいのに、整理致しました。(笑)

先ず、命掛けでない。もうこれに尽きます。

世界3大宗教の是非はともかくとしまして、そこには殉教された方々が沢山おられます。

信じる道に命を捧げた。

本当に人を救いたいと私財を投げ打って、礎になろうとした。

だから、人の心を打つし、残り続けているのです。

どれが理であるのかは、この際どうでも良い事なのです。

その道を信じ、自己顕示を削って、貫いた。

この事実だけで、充分。

 

そこに至らぬのに、¥1250/h電話で救世とかいうから

むかついただけで御座います。

 

と、まぁ自分の中ではそう思うだけであって、それ以上でも以下でもありません。

ただ、昨日今日との一連の流れの中で

じゃぁ、私は命掛けてるのか、、

一日たりとて無駄にしてないのか

こうなると、お恥ずかしい限りで御座います。

 

でもね、一生命掛けでお茶の間にお邪魔させて頂きます。

頑張るとかでもいいけど、もう少し暑苦しくいきますね。

想いだけでね。

 

情報はもう飽和しておりますけど

想いの飽和はありえません。

 

何故なら、人は自分が経験した、また、頂いた想いや愛が各自の器に応じて認知され、受け入れられ

器がリミットブレ―クした時に感動が生まれ、広がるからです。

そして届けた己も認知出来ない時間軸にて繋がって行きます。

ですが、この間には、利己が枯渇を生みますので、飽和はありえないのです。

注ぎ続けるか、受け続けるか、各々に応じて、どちらの流動も必要不可欠でありますから

飽和はありえなく。人の上下も無い。

得意な方を求めれば良いのです。

親と子みたいにね。

常、飽和を求める方が、1250円/hを払おうとするのですけど

それより、吉野家に行って下さい。もしくはDVD映画鑑賞

飽和は無い方が健全で良いという事なのです。流動性があって良いのです。

そうでないと、想いは生まれないから。

また、枯渇してもその想いや悲しみはきっと誰かを埋める事が出来る。

でなければ、殉教者が出る訳ないやろ!

 

何言ってんだろ私 (笑)

あいも変わらず、自分の文才の至らなさに涙する限り、、。

 

 

それはそうと、、。

命のバトンを次世代に繋ぎたい。

止めるべき事と成すべき事を精査したい。

 

そして、腰が痛い。

月曜日は休ませて頂きます。スミマセンm(__)m (笑)