2017年03月31日

(一粒の金)

 

(一粒の金)

一生を掛けた
ある人は大金山を開拓して手に余った
ある人は一粒の金を手に入れた
最期に二人は天を仰ぎ
手の中にある金を見せた
良くやりました。
二人は全く同じ計りを受けた。

 

また、短いね。 笑

 

 

よくやりましたって何か誤解されそうですけど、本来は続きがあって友と呼ぼうで終わっています。まぁ、生身の人間視点からの詩ですからこれで良いのですけど。

 

ただ、もし友と呼ばれなかった場合に、一体何と呼ばれるのかなぁ。。

漠然と考えます。

無視は意識しての無視だから何とか相手の意識は感じ取れるはず。

無関心も一粒の関心があるから無関心を装う事もあるので、なんだか耐えれそうです。

 

たぶん、それ以上の何かが待っているかも、、。

たぶん、これは生身の人間には置いてはいけない言葉であって、とても耐えれないのかもしれませんね。

 

でも、

地獄とか天国とかじゃなくて、結果に恐れたり、憧れるんじゃなくて

各々信じる者や事象に対して、

悲しませるのはいやだなぁ・・・・。これ位の

やんわりとちっちゃい雰囲気。これ位がちょうど良いのかもしれません。

崇めたてまつると、崇め立てまつらない人が引っかかってくるからね。笑

だから友になるか?こんな神様がいてもいいと思います。

 

地獄と言えば、、、

 

たまに、地獄に行け!とか、あなた地獄に行きますよ!とか、日本死ね!こんな言葉を聞いたりしますけど

この提案を相手の方に勧めたり、示唆出来る方は

相手の方と一緒に地獄に行って共に死に渡されても良いという覚悟がなければ、この言葉は受け取り手を求めて彷徨います。

言葉は何時までも宙に浮いていてくれたり、消えてくれたりしません。

受け取り手が居なかった場合は、元に戻ってこようとします。それも還る所を失った大量の仲間がくっついている場合もあります。

吐いた言葉に縛られ続けるけど、選択は自由。

天丼定食下さい! これは店主の方がニコニコと受け取ってくれます。

 

伝える側は、計る側ではない、今一度心に焼き付けて行きたいと思います。