2017年03月28日

自由と愛を失う理由にはなりません

皆様こんにちは、今日は自由を得るには、といいますか自由の中にいるには?そんな事を書いてみようと思います。

今年に入り自分を見つめ直している時間が非常に長く、ほぼ。我流の想い故、余りお役に立てないかもしれませんがお付き合い頂けましたら、幸いで御座います。

 

私の思う自由は一重に、自分にも誰にも縛られる事が無い日常。単純ではありますがこれに尽きます。

ですから、自分が縛られる要因を先ず見据えて、見出していかなければ対処のしようがありません。

今まで何に縛られていたのか、振り返りますと、自分の店は職人だけの店、現場経験も豊富、適正価格も打ち出せ、施工技術も他に引く事も無く、絶対誤診はしない、また、個人的には現実、原理、人道、仁道と自分なりに成長してきた想い。それを裏付ける様に生まれて来た言葉。

こういったものに縛られて来たと実感している次第で御座います。

一見して何か悪い物の様には見えにくいのですけど、これらは非常に柔らかく、例えばたった一言の批判で一瞬にしてその姿を変える恐ろしい性質も同時に合わせ持っております。

以前にも書きましたが、これらの想いの本質は自分を想う、想いであり非常に脆弱、また主義主張を伴わないと維持出来ない何時も摩擦熱が必要な想いなので御座います。

摩擦熱が必要な想いとは、これも以前に書きましたが擦り寄りによる摩擦熱。誰かに擦り寄って得た熱量を永遠に維持して行かなければやがて冷める特性もあります。

これらは普段何を食べているかと申しますと、すごいね、立派やね、頑張ってるね、こういった言葉を食べて更に擦り寄りは加速していきます。何が凄いのか、立派なのか、頑張ってるのか 明確に吟味する前でも、主義主張はこういった言葉が大好物であり、貪欲ですから毒入りを食べていても気づけない場合もあります。

主義主張は持っていなければいけませんが、ここは、何としてでも道具として置いておかなければなりません。道具は自分を縛り、また他人を縛る事はありえないからです。

日常生活の中で、宴会や酒宴の席にて、たまに垣間見る主義主張はその時しか熱量を帯びない典型的な擦り寄りによる熱量であると認識できます。だからといってこれを計ってはいけません。その瞬間私はこの方に縛られる事になるからです。

 

道具化して縛られない為には?

道具化して縛られない様にするには理念。理念を持つことしかありません。

人は大なり小なり必ず理念を持っております。

ただ、どの様な理念であっても他の理念を尊重出来る愛が無ければ機能しません。愛がなければそれは主義主張であり理念ではありません。愛がなければやかましいドラの音。これに相違ないと私は思います。ここではっきりと主義主張は愛を伝える為の道具であると明確に分化出来ます。

 

愛を含有している理念は寄り添う事が出来ます。寄り添いとは熱伝導。多くを語らずとも永遠にその熱量は変わらず他を最善の距離感で温める事が出来ます。擦り寄りとは異なり疲弊もしませんし、拒絶されて空間が開いても摩擦ではないのでその熱量はおちません。また、批判されてもそれが愛に基づく批判なのか?批判する方の主義主張なのか。今その方の持つ精一杯の摩擦なのか?愛をもってままに受け止める事が出来ます。また、その批判とは癒着出来ません。愛とはそういう性質があります。

 

もし癒着してしまったら、相手の方の批判に私の主義主張をぶつける事となり、相手の方に非常に失礼な事をしていると私は徹底して認識しなければ、愛を語るにはまだ早い、そう捉えても良いと思っております。

もう少しかみ砕きますと、相手の方が愛を持ち得ていなかったという理由で私が愛を失っても良いという理由には絶対なりません。消えたり現れたりする愛はまだ、自分の自負心が勝っており、完全に愛と自我が同化している状態では無いと自覚しております。

批判や蔑みを頂いた際の正義の比率はこの際問題では御座いません。ただ、批判と自我との癒着をいつまでも許していましたら、私自身なんの訓練にもなりませんし、私の理念であるどの様な方でも尊重される世は、絶対に来ません。もうこれは間違いないです。また、自分だけの良い余韻では無く、相手の方の余韻を尊重するには全く至りません。

あらゆる情報が蔓延する中で、真に命に係わる発信を垣間見る機会は本当に希少であり、全然物量が足りていません。とは言うものの、私もぬるま湯に浸かっていた事実も否めません。ここらです。何時もここから。

どの様な方の家の病、体の病、心の病、これらに最善を尽くしてくれる世が来るのなら、私などは喜んでその礎になる覚悟に何ら変わりはありません。もちろん私も全力で打ち込みます。病に触れると少なからず自分も痛みます。全く無傷でいる事は出来ませんが、私は引きません。特に家族に至りましては、自分の体を割いてでも手を入れて貰えなければ熱は伝わらない場合も御座います。真の笑顔はこういうところからも生まれて欲しいと願っております。

 

 

あらゆる思考を巡らして本当の自由の中へ参りたい。

毎日を戒めて、新めて、

自分も、どなた様も縛らない・縛られない自由の中へ。良い余韻の一日を作って生きたいとおもいます。

読んで頂いてありがとうございます。この文章を作るのに47年掛かりました。

まだまだ粗削りでは御座いますが、出来る出来ないでは無くやる。

さぼらず一生懸命がんばります。