2017年03月19日

余韻

今までの私の主義の変遷は、

現実主義→原理主義→人道主義→仁道主義

この様な感じで約30年掛けて変わって行きました。

各々の年代で変わって来た~主義は、

決して無駄ではありません。

全てが、次に進む為の踏み台。礎と成って来たからで御座います。

 

ただ、

各々の年代に於いての~主義、や理念は、

時に本来の目的を見失う事にも繋がってしまいました。

 

現実主義時代の私の理念は

決して人様に御迷惑を掛けない経済力が必要で、何を成すにしても先ずは力、この力こそ最大の防御、、。

これを信じて突き詰めていた次第です。

突き詰めた割には、大きな結果を残すに至りませんでしたが、最大瞬発力は今の私を凌駕する事も御座いました。

 

原理主義時代の私は

より原理原則を突き詰めて行きます。この時代は私が正しくて、世の中の間違いを指摘する事が私の理念で御座いまして、とにかく正しい事に貪欲な時代でした。

この原理主義者の私は、あらゆる良い言葉を利用して自分の正しさを証明する事だけに躍起になっておりました。

 

次に、人道主義に変遷して行ったきっかけは

もう、原理主義を謳ってもダメだ、これからは、私だけでも、人の道にそれない様にしよう。

孤立しても、たった一人でもそうしよう。

まさに傲慢は、ここに極まりますが、耐力は一番あります。

酔っていますからね。

 

そして、仁道主義へ

ここで、初めて慈愛や仁愛、愛の落とし込み作業が始まります。

人道主義時代に持っていた価値観や理念。

たった一人でも、孤立していてもいいのです。

ただ、それは自分の為だけでは続かない。絶対枯渇する事に気付きます。

そもそも愛は単体では、たった一人では、機能しません。

続かない価値観や理念に何の価値があるのか?

 

そして、~主義はおわります。

お疲れ様で御座いました。 < 自分

 

現在の私の理念は

どの様な方の肉体も心内にある霊性でも尊重される。

これを昇華させるには、~主義は大きな足枷にしかなりません。

本来~主義は、各々の理念を昇華させる為の道具にしかすぎませんが、

道具と理念が癒着しだしますと、

もうこれは、人を計る為だけの得体のしれない化け物に姿を変えてしまいます。

そして剥がすには相当の日数が掛かってしまう。

 

 

例えばこの様な立派な理念があるとします。

お客様の喜ぶ顔が見たい

これが、

お客様の喜ぶ顔が見たい主義

これと合わさると化け物に変わる。

 

何故なら、この主義以外は認めないという副作用を同時に産み出してしまうからです。

認めないと公言しないまでも

心内では薄ら笑いを浮かべているかもしれません。。

当人は気付けないかもしれないのですが、

薄ら笑いをしながら、お客様の笑顔を見ているのです。

それだけ、綺麗な言葉の理念は、当人も誰も疑わせない程の魔力を帯びております。

また、人間が人間を認めるという相互の関係も

はっきり申し上げて、一方が一方を認めるとか、その上段の構えが、気持ち悪い。

そんなに人は上等な生き物ではありません。

この様な方が

お客様の笑顔を見たいと言っても

お客様の本当の笑顔を見る事は難しい。

もし、見れたとしてもおそらくは、残らない。

お客様の喜ぶ顔を見たい主義は何度も、何度も見れるでしょう。

偽物の笑顔はいくらでも、今の私でも十分見る事が出来ます。

 

 

その様な事ですので

癒着を剥がしましたので、道具としては使いますが

私は、~主義はもう、本当に、いらないのです。

さんざんやってきましたから

もう、関わり合いになりたく無いので御座います。

 

 

 

残りの人生を掛けて、代わりに置く物は

この1日、1ページ、たった一幕を良い余韻で綴る事。

これに掛けてみようと思います。

 

眞に人生は余韻。

ふと、思いだして、自然と出る笑顔。

私の場合でしたら、あの屋根屋、、、笑

みたいな雰囲気、、強固な霧

これなら、数え切れぬ程の職業や人が生み出す余韻に対して

一切の嫉妬は生まれません。

誰が、どの様に、どんな余韻を与えているかを

距離感問わず、なんだか、一緒に楽しめるはずだからです。

楽しめれば残ります。

 

そして、最期に瞼を閉じる際には、

スマホもPCも弄りたくもなく

たった一幕が織りなしてくれた壮大な絵巻物を紐解きながら、

人生の余韻をクルクルと愉しみたいと思っております。

 

つまらん!お前の話はつまらん!

 

昔、言われた様な気がするけど、、、すまんよ (笑)