2017年02月01日

布団叩き

うすら、寒い本日、皆様如何お過ごしでしょうか?

大体、う~んまぁまぁ、、 そんな感じですよね。

私もそんな所です。(^^)

 

で、本日も思うところありまして、多分、グダグダな文章になってしまうと思いますが書いてみようかと思いました。

 

昔、昔、布団叩きという道具が御座いまして、

日曜日の昼なんか、そりゃもう パンパン、パンパン お母様方がしこたま布団と、いう事を聞かない誰かを叩いておりました。

誰かというのは、私では御座いません。 笑

 

時代は流れ、現在この布団叩きの音は町から消えて、めったに聞きません。

 

変わって、ネット上での叩きが大流行り。

これは、もう消えないだろうなぁ・・。と。

 

有名な誰かが不祥事を起こせば、叩き

賞賛に値する(こころざし)でも 叩き

 

叩かないと、自分が維持出来ないのでしょうか?という位 叩く。

これね、

確かに不祥事は美しく映らないかもしれませんが、

叩く方も、自分が薬物患者同様に充分何かの中毒であるという自覚を持った方が良いと思うんです。

お説法でも揶揄でもなく

この理屈で紐解きますと

 

あなたは、自分の一生を掛けて自分の中毒性に気付かないまま 終わる可能性がある。

これは、非常に勿体ない。

むしろ

むごい。

叩くとか叩かないでは無く、

無念である。

痛恨である。

どうか、取返しの効かない大事な時間を

自覚と気付きと修正に費やして欲しいと願うのです。

 

叩く理由として、あなたが、拠り所とした物が、

叩かないと維持出来ないものであるとするならば

その程度の拘りであったのならば、

その拘りは、やがて鎖となり

全心を取り巻きて、やがては錆

その錆は薬剤でも落ちない程、頑固なものと姿を変えて

あなたが唯一叩かなかった人、愛していた人からも 意識されないまま、瞼を閉じる危険性があるので御座います。

 

その程度の拘りの発生は、私の場合は少し異端でしたが、おそらく良品作成JIS規格の様な

量産型人間になりたかったあなたに問題があります。

その様に仕向けられた通念も否定致しません。同意の余地も充分御座います。

エンジンの汚れみたいに幾ら綺麗にしても隅っこに少し残ってしまうからですね。

でも、最終的に望んだのは、あなたであり、私でした。

 

私は、その程度の拘りは、もう捨てました。

何か恐ろしい肌触りですし、

何より親父さん・おやっさん・父ちゃんであり続けたいからです。

 

錆びて凍てつく拘りなら、何もない方がよっぽど暖かい。

老いてしまって、誰かの目と心に魅力的に映らなくなっても全く恥では御座いません。

それでいいじゃないですか。

 

そんな事より~

 

そう、そんな事より~

 

そっと自分を噛みしめてみましょうよ。バッチグの動画張っておきますね (笑)