2016年09月18日

優しかった淡路島の窯元の人達

その昔、丁度独立して間もない頃のお話し。
独立といいますか暖簾分けに近い形です。
当時私の瓦の仕入れ先は他の瓦屋さんからでした。

釉薬和型の葺き替え工事で、p1を所望したのですが、
どうみてもp2。
支払った対価に値しない建材が来ました。

当時20歳前後だったので舐められたと憤慨した私は、窯元さん直で仕入れを行う事を決意!!(笑)

いや。。笑ってますけど、どうやったらこの袖収まるねん!というのも流通していた時代でした。

今度は、舐められてたまるかもん!!と、、何語か解らん言語を使いつつ・・
地下足袋履いて、西宮のフェリーから一路淡路島へ。
現在は、明石海峡大橋からすんなり渡れます。

 

地下足袋って・・笑

 

屋根屋の正装ですけど?

 

 

いや、、ともかく当時の私の社会性の限界を駆使して窯元さんに到着。

建物は古いけど、木の床。小学校の時の教室で使っていた床と同じ。
応接間で、名刺の交換をさせていただき、お茶も事務の方に出して頂きました。

突然地下足袋で来襲した小僧にもすごく優しいのです。
何が優しいかって?

いきなり月締めで取引きしましょうと言ってくれた事。
なんの信用も無い私に、ツケで建材を入れますよといいう提案。

さすがにそこまで甘えられないので、3か月位は現金取引のみで私がかってに采配しておりました。
適正単価の恩恵も受け、小僧を一人前の社会人として扱って下さいましてありがとうございました。
幾度も幾度も帰りのフェリーの上で今までの仕入れ単価との違いを見て嬉し笑いを繰り返しておりました。

 

淡路島の窯元の人達は、大阪人の私ほど気ぜわしくもなく、農耕民族のゆったり感がずっと生きている人間性でした。

数年前に時代の波と共に窯の灯を落とす結果となってしまいましたが、このお付き合いは私の人生のアルバムに綴じております。

勝手な憶測ですが、時代の波ももちろんあるでしょうが、誰に対してでもこの対応で、売り掛けの回収が出来なかったのではないか?など自分がその後被った事象に被せて考えてしまいます。

 

淡路島の人は優しいし、ゆっくりしている。私にはずっとそう映っております。

御施主さんの屋根も、このゆっくりした、優しい方々が作った瓦屋根が乗っかってるかもしれませんね。 😛